
人のイメージが元になっているという点で、「想像」と「創造」は似ています。想像力はわかるための力だといいましたが、創造力はいうならば打開するための力です。
人には「もっとこうだったら……」という欲求がある一方で、嫌なことは忘れて、環境に柔軟に適応して、慣れていくという能力があります。どんなに辛いことでも、理不尽なことでも、それが当たり前になってしまえば適応できてしまうのです。
このような適応力の高さには、もちろんメリットがあります。
たとえば、キツくてもやらなければならないことを乗り切るときには、このような慣れが大きな効果を発揮します。はじめは辛かったことでも、次第になんでもないことのようにできてしまうのは、学校でも職場でもよくあることでしょう。
一方でデメリットも少なくありません。惰性的になる、マンネリになる、感覚が麻痺してしまう、などさまざまあります。繰り返し何かに取り組んでいく中で、成功体験を積み重ね、自分なりの改善、最適化をすすめた結果、「これでいいや」という気持になってしまうことです。そして、いつしか最善を求めなくなり、突き詰めれば「自分で考えることを放棄してしまうこと」が一番のデメリットであるといえます。
慣れという現象は、個人のみならず特定の組織やコミュニティにおいても発生しますし、学問や研究においても同様です。かつては当たり前に、太く、大きく伸びた幹や枝が、いつしか内側から腐っていき、最後には枯れて朽ち果てる。このような状況は、考えることをやめ、「これでいい」と慣れで行動していた結果から生まれるのです。
ただし、人にはこの慣れに対する免疫機能も備わっています。それは、「退屈」という感覚です。
退屈は、何もすることがない手持ち無沙汰な状態に嫌気が差しているときや、関心が薄れて興味が持てない状態になったときに湧き上がる嫌悪感にも似た感情です。人はこの状態をよしとしないので、興味を持てるものを探したり、別の刺激をほしいと感じたり、睡魔に襲われたりします。そして、ときに物思いにふけることもあります。
物思いにふけること、これは言い換えるならば記憶との対話にほかなりません。たとえば、過去に見聞きした何かを思い出したり、「そういえば、あれって何だったのだろう」などと考え事をしたりすることもあります。このとき、人は想像力をフル回転で動かしています。そして、ふと気がつくことがあるのです。
この気づきが、「ひらめき」であり、新たな枝の種になります。
このようなことは誰にでもよくあることですので、似たような体験をしている人は少なくないでしょう。有名な逸話で言えば、アイザック・ニュートンが林檎の木から実が落ちるのを眺めていて、「なんで林檎の実は落ちてくるのに、月は落ちてこないのか」と疑問に思ったことから、万有引力の法則を導き出したというのも、まさにこのパターンです。一説には、エデンの園における知恵の実ともいわれる、林檎の実が落ちるのを見てひらめくというのは、いささか話として出来過ぎな感がありますが、逸話の真偽はともかく、ちょっとしたきっかけが新しいイメージにつながっていくという意味ではよくわかる話です。ニュートンは天才でしたが、ひらめきは誰にでも起こることです。そして、それが新しい何かになっていく、育っていく可能性もあるのです。
枝と枝の隙間の空間を眺め、その隙間に新たな枝を生やしていく。ひらめきを糧に、新しい価値を創り出していく。それが創造です。そして、倦怠で、硬直的で、退屈な何かを打開するための力が「創造力」なのです。

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