水が高きより低きに流れるように、人は誰しも楽をしたい。これは古今より言われることですが、これが人類の文明、その技術をここまで高めた推進力でもあります。これによって、とにかく便利な社会とその環境が現代にはあります。
一方で、現代ではさまざまな分野で自動化がすすみ、人がすることが限られてきた時代でもあります。もちろん、今も人にしかできないことは多々ありますが、AIや機器の進化、情報のデジタル化、端末の小型化によって人に負担の少ない時代ともいえるかもしれません。この方向はどんどん進んでいますので、人にしかできないこともどんどん減っていくのは確かです。もしかしたら考えることすらAIにまかせる、そんな時代に差し掛かっているのかもしれません。
考えるのが好きな私にとっては少しさみしいことですが、将棋におけるAIソフトからウクライナ戦争におけるインテリジェンスAIまで、考えることにおいてもAIが人より秀でた分野があるのは事実となりつつあれば、人がすることは意思決定だけということになっていくのも自然な風潮になるのかもしれません。
ただ、楽をしたいと思うのは、やはり人生の先が見えてきた、中高年層が多いように私は思っていたのですが、これは若い人も同じようです。今の若い人たちはその機会も減っているかもしれない紙の新聞やラジオなど、アナログ媒体の情報に私は今も多く触れますが、ある日、ドライブの途中にかけていたラジオではそんな若者の価値観、文化について誰かが話していました。費用対効果、いわゆる「コスパ」であったり、時間対効果「タイパ」であったりというのは、ビジネスの世界でも重視されることではありますが、若者の間では個人活動においてもこういった価値観が広がっているようです。コロナ禍に、貴重な時間を引きこもって過ごすことを強いられた世代ですので、気持ちとしてこれには共感する部分もたくさんあります。
では、そんな彼らが高い効果を得るためにはどうしたらいいのか。その方法としてまず思い浮かぶのは、労力を減らして同等のものを得る、あるいは時間を減らして同等のものを得るということになります。こうしてコスパやタイパが、彼らの行動指針になるのもわからなくありませんが、労力を増やしてより高い効果を得る、あるいはかける時間を増やしてより高い効果を得る。一昔前ならば当たり前だった、若者ならではのそういった方向に行きにくいというのはなぜなのでしょう。それは、やはり便利すぎる環境というのがあるように私には思えます。そして、今後は人が「汗をかかない時代」となっていくように思えるのです。
少し話が変わりますが、私が発明した空調服は、自分がかいた汗に風を当て、これを気化させることによって気化熱で涼しくなるというものです。ただ、昨今はこの汗をかきにくい体質の方が増えているという話をききました。
汗をかくのが普通の環境下で汗が出てこない。これは体質の場合もありますし、自律神経や交感神経、代謝などに何かしらの異常がおきていることが考えられるようです。こういった症状は「乏汗症」とか「無汗症」と呼ばれる病気の可能性もあると言われています。
汗をかけない、あるいはかきにくくなる原因というのは体質もありますが、やはり日常、環境にその一因があると考えられています。私もこの説は、以前考えたことがあります。
たとえば、昨今は夏場にエアコンを使うのが当たり前ですし、使わないと熱中症になってしまう恐れもありますので、これが推奨されています。朝から寝ているときも使っているならば、24時間ずっとエアコン環境下で過ごすという人もいるかもしれません。しかしながら、これが当たり前になってしまうと、その人は日常的にほとんど汗をかかないことになってしまいます。
コロナ以降、自宅で仕事をする人も増えました。そのため、家からほとんど出ない、外に出る機会が減って運動不足になる、また、ここ数年の猛暑でそもそも夏は外に出ない。ここ数年は特に、汗をかきにくくなる環境が整ってしまったように思えます。
一方で、汗をかきすぎて汗腺が衰えてしまうということもあるようです。これは、逆に屋外で働くことが多い人にみられる傾向で、暑すぎる夏のダメージの後遺症ということになるでしょう。とにかく、汗がコントロールできないというのは、現代人にとって大きな問題となっているのは確かでしょう。
こうして見てみると、汗をかきにくくなる「風潮」が今という時代にあるということでしょうか。こんなことを考えていると、自分がかいた汗に風をあてて涼しくなる服を作った者としては、なんとも複雑な気持ちになるのです。