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SFB人類の継続的繁栄 第8章『第3世代人類の新たな一歩』7

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

目覚めと記憶

 ベテラン刑事が目を覚ますと、そこは病院のベッドだった。
 自分が今、なぜ病院のベッドに寝かされているのか。とっさに理解できず少しだけパニックになりそうになったが、徐々に気持ちを落ち着かせると、こうなる前の記憶を冷静に辿った。

――たしか、私は取調室で事情聴取をしていた。その最中に急に目の前が真っ白になり、頭の中に今まで聞いたことのない酷く耳障りな警告音が鳴り響いたのだったか。

誕生してから50年以上経っているベテラン刑事だったが、このような経験をしたことは今までなかった。

――あれが “ブレーカーが落ちる”ってやつか。それとも“脳のフリーズ”か。話には聞いていたが、自分が体験するのは嫌なものだ。

突然、頭が働かなくなって、自分の意思では何もできなくなる感覚が、まだ体の中のどこかに残っているような気がする。
このような症状がでる原因はいくつかあるが、大体が脳や記憶、バッテリーなどへの負荷が大きくなりすぎたというものだ。そのまま動き続けて危険な領域にまで負荷がかかると、彼ら第3世代の人類の体内に備わったセーフティ機能が働き、自動でスリープモードに入るのである。
 ただ、突然スリープに入ってしまうと、それはそれで今度は身体が危険になる。そのためエネルギー残量などの場合であれば、残りを知らせる機能が皆に備わっている。ただし、脳の使い過ぎというのはさほど起こるものではない。一般的には個人記憶、一般記憶を駆使しながら長時間、思考し続けると、まれに起こる症状だといわれる。
その予防のために脳の稼働率と負荷を把握し続けることも可能であるが、普通に生きている限り必要のないことだというのが常識だった。「今、私の脳がこんなに動いている」などと確認しながら生きていくのは、よっぽどの物好きしかやりたがらない。また、その稼働率を把握するためのセンサー自体も、どれほど正確なのか素人には判別できないような代物だった。個人差があるのか、そうでないのかもわからない。ベテラン刑事も一度試しにやってみたことがあったが、稼働率が急激に上下に変動したりするし、自分の実感とセンサーの数値があまりにかけ離れている感じがして以降、使うことはなくそのような機能があったことすら今まで忘れていたくらいだ。
 人は疲れてくると、頭が働かなくなるということを感覚的に知っている。これは第3世代の人類も同様で、だからこそ定期的に睡眠をとる。これは当たり前の習慣であり、そうしている限り突然倒れるようなことはなかった。
「どのくらい寝ていたのだろうか」
 ぼんやりしていた頭が少しずつスッキリしてくると、ベテラン刑事はベッドから身体を起こして時計を確認する。どうやら丸1日寝ていたようだった。

――丸一日か……。一日中眠るなんていつぶりだろうか……。

 そんなことをぼんやり考えていたベテラン刑事だったが、ふとあることに気がつくと、ベッドから抜け出し急いで身支度を始めた。

――こんなところで呆けている場合ではなかった。署に戻らなくては。
 
 ベテラン刑事は状況を思い出す。あの供述内容が新米刑事によって報告されれば、藤森の身柄はもっと上に持っていかれるのは確実だった。そうすれば藤森という存在自体が消されてもおかしくない。ベテラン刑事はそう危惧していた。
 病室を出たところで看護師に呼び止められたが、「緊急の用事で署に戻る」と告げると、病院前に停まっていたタクシーに乗り込み、スラムの警察署まで急ぐように伝えた。そして、その車内で、藤森の最後の言葉を思い出す。

――もし、“あれ”にもステータスが書き込まれているっていったら、刑事さんは信じるかい。

 “あれ”とは、一般記憶の補助メモリーのことである。個人が補助的に持っている一般記憶であり、通信障害などで一般記憶の共有が難しくなったとしても、最低限生きていけるだけの知識が詰め込まれている。この補助メモリーは、定期的にアップデートが行われる。必要な知識とそうでない知識は社会の変化とともに変わるため、それに対応するためだ。
 藤森は、この補助メモリーのアップデート、つまり書き換えに注目して治療薬を作り上げた。恐らくその過程でアップデート内容についても調べたことだろう。その仕組みはもちろん内容も精査したはずだ。そして、恐らく藤森は気づいたのだろう。私たち、古い世代にもステータスが書き加えられていることに。
 新世代のステータスは、シールドメモリー内に書き込まれている。これは誕生以前に書き込まれるもので、その後改変することはできないというのが新見、そして藤森の説だ。だから藤森は、補助メモリーからそれより上位の命令を出すというやり方で、ステータスの壁を突破しようとした。
 一方、旧世代には元々ステータスなど書き込まれていない。だから、これまで記憶ドラッグ中毒の症状は、ほぼ新世代の者たちにしかみられなかった。しかし、最近になってその動向が変化し、旧世代でも記憶ドラッグ中毒患者が報告されるようになっていた。

――その原因は、アップデートでステータスが書き込まれていたからなのか。

 補助メモリーのアップデートは、ほとんどの人が睡眠中に自動で行っているもので、日々の生活においてはごく自然なことだ。どんな風にアップデートされているのか、その内容がどのようなものなのか、そこになにかあるなんて疑いもしないのが普通だ。ベテラン刑事もそれは同じだった。

――そもそも、私はなんで突然倒れたんだ。これも、もしかして……。

 ベテラン刑事の脳裏には様々な疑念が渦巻いていた。もしも藤森の話したことが全て真実ならば、人類規模の能力規制が秘密裏に行われていたことになる。混乱するベテラン刑事であったが、そのシールドメモリーには、今まさに現実の記憶として“政府の恐るべき陰謀”が刻まれていた。
 スラムの警察署にタクシーが着くと、ベテラン刑事はオフィスに駆け込んだ。
「あれ、もういいんですか」
 入ってきたのに気づいた新米刑事が、そんな風に声をかけるが、ベテラン刑事はそれに応えず尋ねた。
「藤森は、藤森はどうした」
 ベテラン刑事がここまで焦った様子を見せることは珍しかったが、新米刑事にもその理由はすぐに理解できた。
「移送されました。一応、別件の重要参考人だとかいうことで」
「お前、あの聴取の内容を報告したのか」
「してませんよ。倒れちゃったから、それどころじゃなかったですし」
 続けて小声になって、新米刑事がささやくようにいう。
「多分、どこかで覗いてたんじゃないですかね取り調べの様子を。僕も昨日いろいろ聞かれましたけど、あの様子だと多分盗聴ですね」
いつから藤森が当局にマークされていたかはベテラン刑事にはわからなかったが、こうなってしまえばもう自分の手には負えない。今後、自分もその者たちに散々話を聞かれるのだろう。

――そうか、間に合わなかったか。

 そんな無力感にさいなまれながら、ベテラン刑事は今後の身の振り方について思いを巡らせるのであった。

第三世代人類の娯楽、快楽、生きる幸せⅠ

 機械の肉体を持つことによって、さまざまな面でこれまでの人類よりも大幅に能力が強化された第3世代人類だったが、その一方で人間的な快楽、娯楽というものには乏しかった。だからこそ記憶コンテンツは今も庶民に人気があったし、記憶ドラッグが密かに流行したりする。ただ、やはり最上級の娯楽は、自分自身でそれを経験、体験することであった。
 第2都市の一等地にある劇場は、発掘された第2世代の遺構を改修して使われている。この劇場では、人類トップクラスのエンターテイナーによる公演が行われており、劇場の意匠、その歴史的価値、公演プログラムの高い芸術性などから人々の憧れとなっている。
 その日の公演は歌劇。第1世代でもクラシックと呼ばれていた、古典プログラムであった。そして劇場のVIP席には、そんな高尚なプログラムはおよそ似つかわしくない人物がいた。民衆には“人類の英雄”とも呼ばれる現最高裁判所長官の上田である。
「本日は、ご足労いただきありがとうございます」
 上田が座席に腰かけると、すぐに隣の席に座った人物がそう声をかける。
「クラシックなんて高尚なもの、俺の趣味じゃないんだがね」
「人類の英雄ともあろうお方なのですから、格というものが必要でしょう」
「その呼び方はやめてくれ」
 上田がそう注文をしたのを受けて、荒木はこれ以上機嫌を損ねるのはまずいと思い、「失礼いたしました」と謝罪する。
 人類の英雄・上田と、新進気鋭の野党議員・荒木が言葉を交わすのは、この日がはじめてである。このVIP席は、他の観客席からはほぼ誰がいるか確認できないつくりになっており、密談には最適な場所であった。
「念のため確認だが、尾行はされてないだろうな」
「今日の観客数は9,000人だそうですよ。その中の一人が私でも不思議じゃないでしょう。一応、私も社会的ステータスありますし」
 そうやって素直に答えない荒木だったが、上田が憮然とした態度を崩さないので、すぐに「大丈夫ですよ」と付け加えた。
「最初からそうやって素直に聞かれたことに答えろ」
「それ、政府の一番偉い人にもいってくれませんかね。私もそれで議会で苦労しているので。上田先生、お付き合い長いですよね」
 そんな荒木の皮肉は、上田にとっては面白かったようで、上田は「たしかにそうだ」と感心したようにいって、ようやくリラックスした表情を見せた。これで、本題に入れそうだ。そう思った荒木は要件を切り出そうと思ったが、その瞬間、先に上田が口を開いた。
「例の記憶ドラッグ。あれは井上には思わぬ痛手だったなあ」
 そうつぶやいた上田の意図は荒木には見えなかったが、とりあえず素直にその話題の流れに乗ることにした。
「政府は加工されたものだとの調査結果を発表していますが、私たちの調査ではそんな痕跡はありませんでした。上田先生は真実をご存じですか」
「いや、知らない。まあ知っていてもいえないがな」
 上田がステータス導入の是非をめぐって井上と対立していたことは荒木もしらない。しかしながら、阿部の引退に前後してその後継者の有力候補であった2人に距離が生じているという読みは、荒木のみならず世間でも周知の事実として扱われている。閣僚でもない上田と政府の情報共有がされていなくても全くおかしくなかった。
「では、ステータスの存在については、以前からご存じでしたか」
 それが存在するのを前提のように話す荒木に、上田はどう答えようか少し迷った。
「俺が内閣に入らずに、司法にいったのはなぜだと思う」
「質問に質問で返すのはマナー違反ですよ」
 さすがに言質はとらせてくれないが、やはり井上と上田の間に何か軋轢があったのは事実だろう。そして、その原因がこのステータスにあったらしいことが話の流れから憶測できるだけの情報を上田はくれた。
「そんな質問をするために、わざわざこんな席を用意したわけじゃないんだろ」
 素直に答えるわけがない質問をされ、早く本題に入れと催促する上田に、「そうでしたね」と答えた荒木は、上田に賭けて接触したのは間違っていなかったとどこかで思っていた。
「上田先生に比べると短い人生の私ですけど、私にも昔馴染みっていうんですかね、まあ大切な友人がいます。恩人でもあります。その友人が昨日、政府当局に身柄を拘束されました」
「名前は」
「藤森といいます」
 そう荒木が告げると、上田は少し黙り込んだ。どこかの共有記憶にアクセスして確認しているのだろう。当然、一般記憶のリストに藤森の名前がないのは荒木もすでに確認している。この分野に関しての荒木のステータスは無制限であり、一般記憶にある政府の公的なあらゆる情報を荒木は入手できた。ただし、一般記憶に挙げられていない、ローカルな機密情報まではさすがに無理である。上田がこの機密情報にアクセスできるのであれば、ここで何かわかるかもしれない。
「俺が確認できる限りでは、該当者はいないな」
 荒木の期待は外れた。そして上田の答えが嘘であれ真実であれ、藤森はこのままその存在を消される。すでに消されている可能性もある。この答えは、そういうことを意味していた。
「上田先生の力で、彼を助けていただきたい」
 荒木は率直にそう頼んだが、上田としては何のメリットもなかった。そもそも、その藤森なる人物のことを本当に知らなかったし、どのような理由で政府当局が身柄を抑えたのかすらわからなかった。
「その友人は、何をやったんだ」
 そんな者はそもそも存在しない。そう跳ね除けることもできたが、上田は荒木が抱える事情を探ることを優先した。荒木は上田の問いに少し逡巡したが、正直に話さなければ話が先に進まないと切り出した。
「彼は……ステータスを書き換えることができます」
その具体的な方法はいわなかった事が功を奏したか、上田が一瞬驚いた様子をみせたことを荒木は見逃さなかった。そこから「上田はステータスについて知っている」と確信した荒木は、補足を付け加える。
「ただし、彼はシールドメモリーには手を付けていません。別の方法です。彼が行ったことは、現行の法ではその行為が違法といえるかも怪しい」
「その方法とは」
「裁判になれば、ちゃんと表舞台で、ご自分の耳でお聞きになれます」
その藤森なる人物が荒木の友人だとして、この話がその人物を助けるためのはったりとも上田には思えなかった。しかしながら、現状人類にはステータスなどというものは存在しないという建前になっている。公に裁判で処理できるような案件ではない。また、その渦中の人物がいなくなれば、政府の失態を隠すことができる。
上田は、ステータス方式に最初は反対したが、最終的には同意した経緯がある。現状がどうあれ、人類とそれを導いてきた政府側の人間として、これ以上世間を混乱させるのは避けたいという思いもあった。
「君の友人が行方不明なのは残念だが、私には協力できそうもない」
それが上田の判断だった。

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