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2050年 サイバネティク狂騒曲 第2回「第2章アバター時代1 脳が主体」

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

1 脳が主体

閉鎖都市代

 新型コロナウイルスが世界中に蔓延してから30年間、それまで散発した変異株は、変異に対応したワクチンの迅速な開発により一定程度押えられが、2050年、従来型ワクチンでは対応できない特殊な変異株が発生し、再び世界は大混乱に陥った。
 万一のこのような事態に備え、人口千人から十万人の閉鎖都市構想が議論され、すでに具体化案も作成されていた。2050年の特殊変異株の出現を受けて、急きょこの具体化案に沿って世界中に300の閉鎖都市が建造された。
 閉鎖都市は文字通り、他の地域からの人の出入りのない、人流という点では完全に閉鎖したバブル化した都市であり、外部とは物流のみが行われていた。閉鎖都市の最大の目的は、人類がコロナに打ち勝つ手法を確立することにあった。閉鎖都市での成果のみが人類存続へのカギであり、各閉鎖都市では各々の研究が行われていた。人体研究機関が設置されたこの第25閉鎖都市も、1万人の研究者を含む3万人が暮らしていた。

 山田の両親は共に人型ロボット(=人体)の脳の技術者であり、人体研究機関が設けられているこの第25閉鎖都市に移り、究極のリモート方式であるアバター方式について研究していた。電脳や大脳の主体部品である意識プロセッサの開発プロジェクトの主要メンバーとして開発に携わり、特に意識発生の決め手である感情系指数群プロセッサの開発を担当していた。
 人型ロボットの脳に使用するプロセッサや記憶装置の高密度化を研究している第18閉鎖都市により、人類全体の脳細胞の総数をはるかにしのぐ1ゼタバイトの容量をもつ意識プロセッサと記憶装置が開発され、人の脳に接続された[電脳]、及びアバターの[大脳]に使用された。
 感情系指数群プロセッサの導入によって意識プロセッサの開発に成功し、電脳を介し、[意識]が遠く離れた所にある人体の大脳に乗り込むアバター方式が完成した。
 その完成が意味するのは、人体が配備してある所ならどこにでも瞬間移動できるようになったということにほかならない。

 アバター方式とは人型ロボット(=人体)の脳に意識が乗り移り、意識が人体を操縦する方式の呼称である。この技術により人は家に完全にこもったまま、会社や外出先にある人体を自由に使用できるため、理論上では人から人への感染症は完全に解決できる。
自宅にいる本人の脳は脳器に収納され、脳器には脳の各部と接続された12本の信号線を配したコネクターが埋め込まれ、コネクターによりコンピュータである電脳装置と接続されている。なお脳器には小型の人工心肺装置が付加され、脳には絶えず新鮮な血液が供給されている。
 アバターの人体である人型ロボットには人間の大脳に相当する電子の大脳があり、自宅の電脳装置からアバターの大脳に対し意識データが送信され、アバターの大脳に意識が宿る。すなわち本人の脳内の意識データが電脳装置を介してアバターの大脳に移行し、それ以降はアバターが本人の代わりに活動を行い、外での活動が終わればアバターの意識データが自宅の電脳に送信され、電脳から脳器の脳に意識データが上書きされる。
 意識データとは、顔や声などの情報、性格、考え方、能力、各種記憶、その他諸々の脳内総合データである。したがって意識データがアバターの大脳に有るときは、アバターは本人と同様に思考する。
 リモートワークとしてとらえるならば、自宅から意識データが職場にある人体に送信されることによりアバターとして会社に出社し、勤務終了後はアバターの大脳に有る意識データが自宅の電脳に送信されることにより退社し帰宅することになる。

開発中の議論

 山田の両親ら、開発中のプロジェクトのメンバーにより次のような議論があった。

「人体(=人型ロボット)に意識や感情を移行させるアバター方式は非常に難しい。意識はあくまで脳と電脳に留め、人体に大脳は設けず、高度な小脳だけを設け、人体を通信で操る方が現実的なのではないだろうか」
「自宅にある脳と職場にある人体を通信という長い神経で繋ぐということか。脳と人体が離れている場合、人はどこにいることになるのだろう。心はどこに有るのだろう」
「脳が自宅に有っても、人体を会社で使用している場合、会社に自分がいると認識するだろう。従来のバーチャルリアリティと同じだ」
「もし、目と耳の無い人体がこの会議室にあり、目と耳だけが隣の会議室にある場合はどうなのだろうか」
「人体には触覚があるので、この会議室の椅子に座っている触感を尻に受けている。しかし目や耳が隣の会議室にあるのなら隣の会議室にいると感じるだろう」
「目が崖の上にあり下を眺めている場合はどうなのだろう。怖くて目を手で覆いたくなるだろうが、手がそこには無いので覆えない。脳はどこにあっても問題ないが、脳以外のパーツは全て人体に一体化していないとならない」
「脳と人体や目や耳が別の場所にある話はばかげている。通信速度の上限は光速だ。遠い所では動きが鈍くなり使い物にならない。絶えず脳と人体との通信が必要で多量の電力を消費し、現実的でない。アバター方式なら意識データが乗り込む時だけの電力で済む」
「アバター方式の場合、意識データを送った後、家にある電脳や脳はどうなるのか。意識データが完全に抜かれていれば問題ないが。電脳はコンピュータと同じなので簡単に意識データを抜くことができそうだが脳はそうはいかないだろう」
「脳は眠っていれば良い」
「眠れない場合はどうするのか。やることが無くて退屈になり満足指数が下がるだろう」「満足指数が下がっても意識がアバターから家に戻って来た時に[その日の記憶を含んだ意識データ]が上書きされる。記憶が上書きされれば満足指数が低下した記憶は残らないので問題ないのではないか」
「しかし、できるだけ眠らせるようにしよう。起きていれば脳器の脳とアバターとに、意識が二重に存在することになる。二重存在には問題がある」
「だったら意識データを2つの人体に同時に送信した場合はどうだ。この場合はアバターが2体存在し、完全な二重存在になる」
「たとえば会社と観光地の両方で同時にアバターとなる場合を考えてみよう。観光地では面白い経験をして満足指数は大きく上がり、会社では仕事に失敗し散々な目に合う場合はどうだろうか。この2つの真逆の記憶を統合して上書きすることはできないだろう。片方の記憶を選んで使用するしかない」
「選ぶのなら観光地での記憶にするだろう。しかしそれは会社での記憶を消すことになる。会社のアバターが取得した記憶を消すということは、会社のその日のアバターを殺すことになる。たとえそれが倫理的に問題ない場合でも、会社で失敗した記憶が残らず、また同じ失敗を繰り返すことになる」
「多重存在でも同じ目的なら問題ないというのも一つの考え方だ。観光の場合で考えてみよう。観光時間に余裕がない場合は、別々の観光場所の5体のアバターを同時に使い、観光を終えてから記憶を加算統合した意識データを作るという方法もある。この場合は5カ所の観光場所の記憶が残るだけで全く問題ない」
「観光終了時間を厳密に決める必要がある。決めた場合でも守れない場合があり、下手すると自分同士でけんかになる」
「5カ所の観光が全て同じように良ければ大きな問題はないだろうが、たとえば4カ所は良かったが1カ所で、たとえばサファリパークでラクダにべとべとの唾をかけられ超不愉快な思いをした場合はどうだろうか。わざわざ超不快な思いを記憶に加える必要はないだろう」
「基本的に1人の意識データを5体の人体に送信しアバターを5人作った場合、意識を受信した時点で、過去の記憶を共有する全く別の5人になる、ということだ。1人が何人にも分身できるが、分身した瞬間に全くの別人になる。多重存在は禁止しなければならない。意識データを送った後の脳は強制的に眠るような技術を開発しよう」

 このよう議論を経て、どこにある人体にでも意識を移せるが、意識は必ず1カ所にしか存在しないことを大原則とした。

小脳

 小脳は主に運動能力の制御に使われているが、それはアバター方式でも同じである。
 ここで少しアバター方式における「人体」の使用前後の大脳と小脳の中のデータについて説明する。
大脳から意識データが戻っていくと、人体の大脳にはシステムソフトとしてのデータだけが残り、ほぼ空になる。これに対し、大脳から意識データが出ていった後も、小脳のデータはそのまま残り常にその小脳に留まる。
 性格や知的能力は意識データにより決まるので、原則的にどの人体を使用しても問題ないが、運動能力に対しては別問題である。同じ人体を毎日使用していると、小脳の各種パラメーターが使用者の癖などにより変化するが、このパラメーターはその人体から意識が離れても小脳内に留まっている。
 人体には意識データを処理するための大脳と、体の動きを制御するための小脳がある。同じ人体を長く使うほど、大脳の意識と小脳との連携がよくなり、人体をイメージ通りに使用できるようになる。 
スポーツ競技を行う場合、平等性の観点から同一仕様の人体を使用するようにルール化されている。したがって基本的な体力については全く同じである。しかし同じ人体を長期間使用することにより、大脳にある意識と小脳との連携がよくなり大幅に技術が向上する。
 無論、本人の脳(=脳器の中の脳)にもそのスポーツに対する適不適があり、たとえばサッカーの場合、もともとサッカーに対する能力の高い人が、同じ人体を使用して自分に合ったトレーニングをすることにより、意識データの一部である身体能力データ群と人体の小脳との連携が非常によくなる。
 有機物の人体を持つ有機物時代のスポーツ選手では、生まれながらの身体能力と、トレーニングニングによる身体能力の向上により、体力面で大きな差が生じた。これに対しアバター方式ではトレーニングの有無に関わらず基本的な体力面の能力差は全く生じることはない。
しかしながら有機物時代の人類は、[脳が直接体の動きをつかさどる]という単純な体の制御方式のため、脳(に有る意識)と体の連携という点ではトレーニングによる効果はあまり大きくなかった。これに対し、アバター方式の人類は脳が直接体を制御するのではなく、人体の大脳、小脳という2つの脳を介して制御するため、トレーニングによる各脳の連携に大きな差ができる。
サッカーなどの複雑な動きをする競技の場合、同じチーム内の選手の技能の違いも非常に大きく、有機物時代のサッカーよりも各選手の特徴が顕著に現れ、観ていても大変面白い。このためサッカーはこの時代でも非常に人気のあるスポーツである。
 趣味でサッカーを行う場合は別だが、プロサッカー選手は当然自分専用の人体を所有し使用する。しかしサッカー競技は動きの激しい競技のため、負傷することも多い。人体に致命的な損傷を負った場合は別だが、通常の損傷の場合、パーツの交換などにより簡単に回復する事ができる。パーツ交換では対応できないような大きな損傷を負った場合には、新しい人体を購入し使用することになるが、ほとんどの場合、人体病院で損傷を負った人体から小脳を取りだし、購入した新しい人体の小脳と交換し、すぐに復帰することができた。
 極まれにだが、小脳に致命的な損傷を受けることがある。この場合は選手生命が終わったと思われがちだが、大脳(に有る意識)が小脳の状況をある程度把握しているので、新しい人体を購入し激しいトレーニングを行うことにより、大脳が把握していた小脳のパラメーターを新しい小脳に伝えることができ、根性のある選手は短期間で復帰できる場合もある。

アバター時代の出来事 スーパートレーナー

 アバター方式定着後の出来事である。
 スポーツジムに通い、レジャーとしてスポーツを行う場合、そのスポーツにのめりこむ一部の人を除いては自分専用の人体を保有せず、ジムの人体を借りて使用する。そのため、自分が使用する直前に、動作にくせがある人がその人体を使用していた場合、借りた人体にそのくせが残っていて、体が思うように動かないことがある。 
 スポーツジムに度々通う山田も同じような経験をして、スポーツジムの担当者に苦情をいった。
店長が苦情の対応を行い、山田に対し「もっともな話で同じような苦情が度々あります。どのジムでも問題になっているようです。人体製造会社に相談すると、[技術的には簡単に対応可能だが、小脳の基本仕様は共通で、基本仕様の変更は法律で禁止されている]とのことです。専用の人体を購入するしかありません」と答えた。
 山田はこの問題の解決方法を考えてみた。法律はさておき、まずは小脳を改造する場合について考えてみた。「体を動かす時の各人の特徴は多数のパラメーターとして小脳のメモリーに入っている。このパラメーターがトレーニングにより変化することにより技能が向上する。このパラメーターが入っているメモリー領域を100人分作れば、100人が同じ人体を共用しても、使用者各人がそれぞれ自分専用のパラメーター領域を使用することにより、各パラメーターは前回使用した後と同じ状態になり、トレーニングを重ねるごとにスキルが上がる」
次に法的に問題がない、小脳を改造しない場合で考えてみた。
「小脳にはパラメーターが入るメモリー領域は1人分しかない。トレーニングが終わった後に外部からパラメーターを読み出して外部メモリーに保存して置き、次にその人体を使う時そのパラメーターを小脳に移し返せば良い。トレーニングが終わって意識データが出て行く前に、小脳と大脳を接続するコネクターを外し、小脳側コネクターからパラメーターを読み出すことはできるはずだ」と気が付いた。 
 早速中古の人体を1体購入し、パラメーターの読み出しや書き込みの実験を行い、千人分のパラメーターを保存できる容量の、小脳と通信可能なパラメーター保存装置を試作した。翌日ジムに行き店長に話し、店長に手伝ってもらい自ら実験した。
問題だったのはコネクターを外し、コネクターを保存装置に接続するときである。大脳と小脳を接続するコネクターを外せば手足を動かすことはできない。したがって人体のコネクターを保存装置に接続することは自分で行なうことはできず、他人の手が必要なことだった。
このことを店長に話すと「返ってそのほうが良い。店からのサービスになり、お客とのコミュニケーションも良くなる」とのことだった。
 店長に操作方法を教えて1週間貸し出した。毎日通う客は「トレーニングの成果が1日ごとに上がり大満足だ」といっていたとのことだった。 細かな点を改良して翌週も貸し出し、早速特許を出願した。翌週にジムを訪ねたところ、店長は興奮してこの装置の評判の良さを話しまくった。
 山田と店長は事業化について話しあった。店長が資金を出し、山田が社長、店長が副社長として、社名を「トレーナー」とした製造販売会社を設立し、商品名を「スーパートレーナー」として販売した。
 この商品の良さが口コミで広がり、ほとんどのスポーツジムが導入した。導入しなかったジムはしばらくしてみな倒産することになった。この技術は他のスポーツ施設へも広がり、会社は急成長した。
 また、小脳のくせの問題はスポーツだけではなかった。
従業員が20名の中小企業での出来事である。この会社は経営状態が悪く、人体は社長の分も含め21体しかなかった。人体は全て中古品で、中にはかなり痛んでいる物もあった。 暗黙のルールで従業員は皆、毎日同じ人体を使っていた。
ある時、1人の社員が1週間出張した。出張から戻っていつもの人体を使用すると体の動きがおかしかった。その特徴ある動きから、出張中に誰が使用していたのかすぐにわかってしまった。
 このようにプライバシーの観点からも、アバター内の小脳記憶の個人化は社会において大いに求められることであった。

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