この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
3-1 移動制限時代
デジタルコロナウイルス出現
ある地域で新型のデジタル悪質風邪が頻発した。
人体調査官がその地域に赴き、使用していた人体を徹底的に調査した。調査の結果、その人体の大脳の[意識データを送受信するシステムソフト]にコロナ型デジタルウイルスが感染していた。
別の地域でも悪質風邪のクラスターが発生した。調査結果を分析したところ、意識データにウイルスが感染し、感染した意識がその人体を離れるとき、そのウイルスの複製がシステムソフトに残り人体が感染する、と、わかってきた。
さらに別の地域で大規模なクラスターが発生した。その地域ではすでに大半の人体に感染している可能性が高く、調査官がその地域の人体に通信移動で乗り込んで調査に赴くのには感染の大きなリスクがあった。
そこで調査官は全員トラックに乗り人体ごとにその地域に赴いた。人の移動は意識データの送受信により行われるので交通手段は不要だったが、物の運送には物自体を運送しなければならないので、そのためこの時代でも運送インフラは残されていた。
大規模な調査の結果、その地域の人体の大半が感染していることがわかった。各地域で人体を調査したところ、ほとんどの地域で感染した人体が見つかり、感染が急速に広がっていることがわかった。
世界中から同様の報告が相次ぐのに時間はかからなかった。世界中にコロナ型デジタルウイルスが蔓延しているようである。
この事態に対し、世界政府にウイルス対策プロジェクトが組織され、分析会議が開かれた。
「進行すると一部の意識では重篤化するようである。治療薬ソフトはまだできていない。感染した意識が人体に受信されるとき、大脳のシステムソフトに感染するようだ。感染していない意識が感染した人体を使用した場合には意識データに感染するようである」
「大脳には送受信時にウイルスをブロックするワクチンが組み込まれているはずだ。どうしてワクチンが利かないのだろう」
「本格的なワクチンは電脳に組み込まれていた。電脳を使用していたアバター時代ならば意識は毎日必ず自宅の電脳に戻っていたので、そのときにウイルスが除去された。しかし今の(意識)時代では電脳は使われていない。今、大脳にあるワクチンは簡易的なものだ。電脳に使用されていたワクチンを大脳に使用すれば良い」
「電脳に使用されていたワクチンは調査済みとの報告を受けている。大脳に組み込むためには仕様変更が必要とのことだ。またそのワクチンでは今のコロナウイルスにはあまり効かないようだ。新規に開発する必要がある」
「とにかく人体の共用はやめよう」
「共用を禁止しても完全ではない。たとえ自分専用の人体だけを使用しても通信時にウイルスが紛れ込むことが稀にあるようだ。特に遠距離移動では沢山の基地局を経由する。基地局を経由するたびに感染リスクが高くなるようだ」
感染経路追跡の結果、現時点では人体の共用よりも遠距離移動よる感染の方が圧倒的に多いことが判明し、遠距離移動の制限について議論された。
「現時点では遠距離移動が問題のようだ。移動範囲の限定をしよう」
「移動範囲といっても何を基準にすれば良いだろうか。経由する基地局の数の制限ならやりやすいが、エリアの制限と違ってわかりにくい」
「やはりエリアの制限が良い。世界中をエリア分けするのなら国単位が良いだろう。国単位なら世界政府から各国の自治政府に命令すれば、すぐに可能だろう。国の大小によりエリアの大きさは異なるが、国の内部をさらにエリア分けする必要がある場合には、その国の自治政府が行えばよい」
世界政府が各国の自治政府に[通信による人の移動に国境を設け閉鎖する]ように命じ、各国は通信による人の移動について国境を閉鎖した。
皮肉なことに新たなウイルスの蔓延によって、21世紀初頭のコロナウイルス蔓延以前の社会的なスタンダードに向かって時代は逆戻りしつつあった。
日本政府の対策
日本でも政府の対策委員会が組織され、コロナ型デジタルウイルス対策会議が開催された。
「国境は閉鎖した。その後の分析によると人体の共用による感染の割合も急拡大しているようだ」
「通信による移動を全面的に禁止することはできない。人体の共用だけ禁止すべきだ」
「客用の人体が必要な接客業のような、人体の共用が必要な産業はすでに調査済みだ。全産業の半分程度だ。残りの半分の製造業や情報産業などでは、ほぼ自分専用の人体を使用している。自分専用の人体の使用を徹底すれば、半分の産業は完全に守れる」
「通勤者は自宅の人体で体ごと通勤するようにして、通信による移動もできるだけ止めよう」
「今では人体が移動するための交通手段はほとんど無い。貨物列車やトラックを改造するしかない。幸い今の人間には呼吸は無く、温湿度もほとんど影響がない。大脳や小脳のソフトを少し変更すれば、荷物扱いされても通勤時の苦痛はほとんどなくせるだろう。このソフトは簡単にできる。貨物列車やトラックも簡単な改造ですぐに使用できる」
「通信出勤者の7割削減を目標としよう」
政府の方針を受けての各企業でコロナ対策会議が開かれた。
「政府から緊急事態宣言時の人体の使用についての方針が出た。当社は製造業なので特殊な作業用の特殊な人体も備えている。通常の業務では使用する人体を各自に割り当て固定することは可能だが、特殊作業時はどのようにするべきか」
「2つの方法がある。1つは使用後の特殊人体の大脳を消毒ソフトで完全消毒することだ。2つ目は特殊作業専用の人を決めておくことだ」
「特殊人体は作業内容ごとの3体あるが、3体とも1人が使用すれば良いのでは」
「特殊作業はいつもあるとは限らないが、ある時は一度に3体同時に使用するケースが多い。使用者を1人に決めておくのは現実的でない。消毒にしよう」
「来客の対応はどうしようか」
「これも2つの方法がある。1つは消毒での対応、1つは自動車での来社をお願いすることだ」
「来客側は消毒の様子を確認できないので消毒では不安だろう。自動車での来社をお願いするしかない」
「今日の一番のテーマは出勤の問題だ。通信出勤者を3割に抑えなければならない」
「交通出勤時のソフトができ上がったと聞いている。テスト結果は上々のようだ。あまり影響はないのでは」
「交通出勤自体の問題はないようだが、問題は通勤時間だ。今までは通信で通勤したので瞬時に通勤でき、通勤時間の概念がなかったが、交通出勤は時間が掛かるので通勤時間も勤務時間に含ませる必要がある」
「近距離通勤なら問題ないが、大半は長距離通勤だ。7割削減は現実的でない」
「それでは自宅にいたままパソコンを使用する、昔のコロナ時代のリモートワークしかない。しかし当社は製造業なので極一部の事務職しかできない。近距離通勤者と合わせても3割削減が精一杯だ」
大型テーマパーク運営会社でも対策会議が開かれた。
「政府は人体の共用を禁止する方向で検討している。とんでもないことだ。我々も含め5割の産業が成り立たない」
「非常に有効な消毒ソフトができたと聞いている。消毒ソフトができたので政府もすぐに方針を変えるだろう」
「消毒ソフトで対策することにして、消毒を徹底する方法を考えよう。当社からクラスターを出したら大変だ」
「当社には10万体以上の人体がある。使用した人体を正確に管理しなければならない。また午前、午後、夜間と1日3回使用することもある。使用した後に1体1体消毒していたのでは間に合わないし、消毒ミスがあれば大変だ」
「その問題はないだろう。当社のテーマパークへの来園者の99%が通信により意識として来園するが、通信での来園者は全員入場用移動室を経由し、帰るときは退場用移動室を使用する。退場時には意識データを送信した後、待機モードのソフトがインストールされる。待機モードのソフトのインストールと同時に消毒ソフトをインストールすれば確実に消毒できる。残りの1%は乗用車などで人体毎来る来園者で、感染とは関係ない」
このように消毒ソフトを使用することにより人体共用の問題は解決した。また、電脳に使用されたワクチンソフトをさらに改良した通信時の感染予防ソフトが完成し、世界中の人体の大脳にインストールされた。
2回の緊急事態宣言があったがワクチンソフトと消毒ソフトによりコロナは鎮静化し、その後もわずかなクラスターが発生したが2年後には世界中がコロナ以前の状態に戻った。
特殊変異株
しかし、このままでは終わらなかった。
鎮静化後1年程経ったころ、世界中の各所から動きの鈍い人体の報告があった。同時に同じ地域から「特殊な変異株が意識へ感染した」との報告が世界保健機構(WHO)にあった。
人類が無機物の人体を持ち感染症の問題が完全になくなったため、一時期WHOは解散していたが、今回のコロナ騒動を機に、デジタルウイルス感染症対策を指揮する国際機関としてWHO が復活していた。
WHOの調査の結果、変異株が小脳に感染し、小脳で増殖し、運動障害に及んだことがわかった。また時としてウイルスが小脳から大脳に移り、通信時に意識データに感染することも明らかになった。また、このウイルスは従来のワクチンが利かず、ワクチンは簡単には開発できないことも明らかになってきた。無論、大脳や意識に感染したウイルスは消毒ソフトにより除去可能だが、小脳には直接通信することができないので、小脳に消毒ソフトをインストールしてウイルスを除去するのは困難だった。
この大問題の発覚を受け、WHOが大規模な対策会議を開いた。
「まだ局地的だが世界の各所で特殊変異株によるクラスターが発生している。今度の変異株は厄介だ。ワクチンが利かない上に、小脳に感染し増殖する。小脳から大脳に感染することもあり、通信時に意識に感染する。大脳や意識に感染したウイルスは消毒ソフトにより取り除くことはできるが、小脳には直接消毒ソフトをインストールできない」
「小脳を消毒するためには人体を切り開いて、大脳と小脳を繋ぐ信号線を切断し、小脳側にコネクターを取り付け、そのコネクターから消毒ソフトをインストールする必要がある」
「感染が広がってしまっては、1体1体の人体を切り開いて消毒することには無理がある。今のうちに感染した全ての人体を切り開いて消毒する必要がある」
「動きが鈍いことだけが見分ける方法のようだ。小脳での増殖があまり進んでいない場合には動きによる見分けは困難だ。別の方法を探し出さなければならない」
長時間の議論の結果、この変異株に対するワクチンなどのデジタル薬物での対応は事実上困難、とわかり、世界に向けて驚愕すべき次のような内容を発表した。
1 今回の変異株は小脳にも感染するため、デジタル薬物での対応は事実上困難。
2 このままでは世界中に蔓延するのは時間の問題である。すぐに長距離通信移動の中止を強く勧告する。
3 通信による意識データの移動を全面的に禁止し、1意識1人体制度への移行を勧告する。
このWHOの衝撃的な発表を受け、政府に大規模な対策委員会が組織され、議論が始まった。