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SFD人類の継続的繁栄 第7章『命の定義』

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

死の定義

技術立国の立場を鮮明にした自治政府は、人体についても研究する事を決め、〔人体研究プロジェクト〕を立ち上げた。

「脳についてはすでに数々の改良が加えられ、満足度は高い状態になっている」
「臓器についてはどうか」
「目なら簡単に改造できる。網膜の受光素子の密度を100万倍にする事などは簡単にできる」
「解像度を高くすると何かメリットがあるのか」
「目のソフトを工夫すれば、画像をいくらでも引き延ばす事ができ、目を高倍率の望遠鏡代わりに使用する事ができる。対象物との距離を正確に計測する測定器としても使用できるだろう」
「それは便利だ。臓器については他にも色々ありそうなので後回しにして、他の視点から考えてみよう」
「第1世代の人類を考察してみるのはどうだろうか」
「第1世代の末期では、壊れかけた臓器を人工臓器に置き換えるハイブリッド化が行われていたようだ」
「私もどこかで読んだことがある。あまりにも惨たらしいので人類史には載ってないが、自分のクローンを作って、臓器が痛めばクローンから取り出していたとの話しがある」
「心臓や目や足などは無機物でも作れるが、微妙な臓器はクローン人間から取り出したり、遺伝子操作で他の動物に臓器を作らせたりしていた。時には遺伝子操作に失敗し、とんでもない怪物が出現した事もあったようだ。脳までも作ってみたというから驚きだ」
「脳を作るのは当たり前じゃないか。我々の脳は半導体で作っている」
「馬鹿なことをいうな。有機物由来の生物の脳と、コンピュータで設計して作った無機物の我々の脳とは意味がぜんぜん違う」
「とにかく秘密裏に色々やっていたのは確かだろう。脳細胞の細胞分裂回数を増やして、1024倍の脳細胞を持つ怪物を作ったとの資料が残っていた」
「第1世代の人類の設計図は遺伝子だ。遺伝子は情報であり、情報操作でいかようにもできる。有機物の体でも老化しない、死なない人間を作る事もできる……ということだ」
「第1世代の人類はこのような事を経験して、『これでは破滅する』と気が付いた事も、第2世代に移行した理由だろう。ところで第2世代でも死はあった。我々は100年以上前の記憶は消去されるので、死が有るような無いようなもので、死を恐れる人はいないし、ほとんどの人は考えた事もないだろう。第1世代の人々が恐れていたという、死について改めて考えてみる必要性がある」
「第1世代の人類の死の定義は心臓が止まる事のようだ。微妙な有機物で出来ていたので、心臓が止まれば体が腐る。脳が腐れば記憶は無くなるので、それはそれで合理的な考え方との見方もできる」
「記憶の喪失と死とは関係ない、というとんでもない誤解をしていたようだ。第2世代の後期になると、さすがに誤解だとわかり、記憶が全てだという事に気が付き、小惑星の衝突の日に、一斉に他の文明に向けて自分の記憶を送信した事件につながった」
「21世紀初頭に、例の技術者が残したメモにこんな事が書いてある。『生とはその時点で自分が自分であるという連続した記憶があるから自分が生きているように感じているのである。たとえその人が殺されても、顔や体がそっくりで殺された人の記憶を引き継いでいれば、本人も周りの人も、その人が連続している本人だと疑う事はない。だから生と死とは等価だ』という趣旨が書いてある」
「その技術者って、『質量とエネルギーが等価、という当たり前の事がほとんど人にはにわからない。ほとんどの人にはわからない、という事が自分には理解できない』と言ったあの技術者でしょう。等価という言葉が好きな人だ」
「その技術者は、この手の事の多くを解明したようだが、『ほとんどの人は教育や宗教による洗脳を受けているので、本質がわからなくなっている』とも言っている」
「洗脳を受けている点では我々のほうが大きい。『人類の継続的繁栄』という理念の洗脳を受け続けているからこそ今の我々がいる」
「その技術者のメモにこのようなものがある」

21世紀初頭メモ『記憶銀行』

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記憶銀行についての一考察

これまでの思考実験の結果から、永遠に生き続ける事は簡単であり、現代の技術でもある程度可能である。自分がずっと自分であり続けていると思うのは、脳にこれまでの体験などが記憶されているからです。重度の認知症になると自分が誰だかわからなくなる。またある種の記憶喪失でも同様である。韓国ドラマブームのきっかけになった「冬のソナタ」の中で、主人公は交通事故で記憶を喪失し、専門医の心理療法により失われた過去の記憶の代りに、別の記憶を植えつけられた。このような事はドラマの中だけでなく、ある程度は可能だと聞いている。
将来心理療法の技術がさらに進めば、次のようになるかもしれません。
バイオテクノロジーが進歩し、細胞からさまざまな臓器が作られるようになり、自分の細胞から作った臓器を自分に臓器移植する事が当たりまえの時代になり、それと共に生命に対する倫理観も変わり、脳以外の臓器や肉体は悪くなったら交換できるようになった。しかし、脳が老化する事に対する対策がなく、長期間の検討の後、人間が生きている事の本質は記憶にあるのだとの結論に達し、永遠に行き続けたいと思う人や、脳の病気に悩む人のために記憶銀行制度ができた。
記憶銀行制度とは次のような制度です。

死を前にした老人、たとえばK氏が銀行に行き記憶を登録します。記憶の登録といってもあまり大げさなものでなく、K氏から直接いろいろ記憶している事を聞き出したり、催眠術などを用いたりして、要はできるだけ多くの記憶を記録しておくだけです。後は条件に合った体を提供するドナーがみつかったら、ドナーにK氏の記憶を植え込めばそれで良いのです。
ドナーが見つかりK氏の記憶を埋め込まれ、二度目の人生を歩みだしたK氏は、若返った肉体に満足するでしょう。K氏の体がまた年老いた時に同じ事を繰り返せば、永遠に生き続けるようにも思えますが、人間の脳の記憶力には限界があるので、過去の事はどんどん忘れていくでしょう。ただ自分はずっと生き続けているという事だけは多分忘れないでしょう。ただこれでずっと生き続けているといえるのでしょうか。

ところで振り返ってみると59歳の私自身、過去の記憶はほんの断片的にしか覚えておらず、K氏とあまり変わらないようにも思えます。 

 END
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教育と洗脳、そして記憶

「我々には生きているという記憶がある事が、唯一生きている事だということを今では誰でもわかっているが、『記憶がなくなっても心臓さえ動いて腐らなければ魂がある』という馬鹿げた考え方もあったようだ。21世紀初頭という、何十万年も前の人類の考えていた事なので、馬鹿げた考えでも仕方がないが」
「その頃より数百年前の人類は、地球が宇宙の中心で、地球を中心に宇宙が回っていると考えていたようだ」
「それよりさらに前には恒星は星屑といって、本当に恒星は小さな屑のようなものだと考えていたようだ」
「第1世代の人類はかなり知能が劣っていたという事か」
「そうではない。基本的に我々の知能は第1世代の人類と同程度に作られている」
「それでは何でそのような馬鹿げた事を考えていたのか」
「それは結果的に、そのように社会から教育を受けていたためだ」

第4世代人類の研究者たちは、そんな議論を続けていく。

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