この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
第5暦元年
500年の航行を経て、第1船団はついに第3太陽系の領域に到達した。
詳細な観察の結果、人類の居住に適した惑星が3つ見つかった。そのほかにも惑星や衛星が多数あったが、先ずは3つの惑星を詳細に観測した。
第1の惑星は第1世代、第2世代の人類が住んでいた地球と良く似た惑星だった。適当な引力があり、地球よりも濃い大気があった。
第2の惑星には大気が無く、引力は少し強かった。原爆エンジンを10基搭載していたが、原爆エンジンは元々長時間かけて光速近くまで加速させるためのもので、出力を最大にしてもエンジンで降りるには引力が強すぎた。この惑星に降り立つには宇宙エレベーターが必要である。自転周期を測定したところ周期が長く、宇宙エレベーターを作るのには静止軌道半径が大きすぎ、この惑星は対象から外された。
第3の惑星は静止軌道半径が小さく、宇宙エレベーターの建造には問題なさそうだった。精緻に地表を観測したところ、最近できたと思われるひび割れがあちこちに見つかった。巨大地震が頻発しているようだ。この惑星も対象から外された。
他にも惑星やその衛星が多数あるが、とりあえず第1の惑星を候補地として検討する事にした。大気がある事は気象の問題があるはずである。そのため気象の状況を丹念に観測した。太陽からの距離や惑星の大きさ、重量、大気密度、自転周期、公転周期、地軸の角度などによる気象のシミュレーションも行った。観察結果にもシミュレーション結果にも気象には大きな問題はなかった。
雲の合間から見える地表には最近できたと思われるひび割れはなく、地表は安定しているようである。大気の層は厚く、地表の気圧は10気圧と想定された。気圧が高くても生活への支障はほとんどない。動く時の空気抵抗により多少電池の消耗が早くなるだけである。
気象の問題さえなければ、大気が濃いことには大きな利点がある。たとえ大きな隕石が落下しても大気との摩擦で燃え尽きる。濃い大気は隕石から地表を守るシールドとして機能する。 大気が濃い事はパラシュートが使える事でもある。この天体へはパラシュートにより簡単に着陸できそうである。
この星を移住先とする事を決定し、第3の地球となるこの惑星の大気濃度や引力をさらに精緻に測定し、必要な大きさのパラシュートを製造した。
万全の準備が済み上田大統領が乗った旗艦が最初に着陸する事になった。
陸目標地点にむけてエンジンを噴射し落下が始まった。大気圏突入直後、パラシュートを上空に放出した。まだ大気が薄いのでパラシュートはゆっくりと開き、船体への衝撃は小さかった。パラシュートを操作しながら目標地点に着陸した。輸送艦も次々と着陸し、第3地球に300人が降り立った。大気が濃いため太陽光はあまり届かず薄暗かったが、感度が調整できる彼らの目には十分な明るさだった。
宇宙船から資材や機材を地面に下ろし、計画通りに宇宙船の内装を取り外し、カーボン変成機により基地建設に必要な部材を製造し、300人が暮らせる小さな基地を建造した。
大気の成分、地面の安定度を綿密に調査し、資源についての簡易調査も行った。カーボンは大量に採掘できそうである。カーボンさえあれば80億人を目覚めさせるのにあまり大きな問題はない。
10日間の調査の結果、第3地球には貴重物質があり、その他の条件にも問題がなく、人類の居住には理想的な天体であり、第3地球を人類の恒久的な居住地とする事を最終決定した。
旗艦の宇宙船を解体し、沢山のカーボン材料を入手し、当面必要な各種機械と1000体の人体を製造した。記憶記録装置に記録されている80億人の記憶の中から、カーボン変成と人体製造関連の技術者を中心に1000名の記憶が選定され、その記憶が製造されたばかりの1000体の人体の脳に書き込まれ、1000名が目覚めた。
新たに目覚めた1000名が加わり、4隻の輸送艦を解体し、カーボン変成機により8700体の人体と各種機械と基地の拡張に必要な部材を製造した。新たに8700人が目覚め1万人となった。
鉱山を採掘しカーボンや貴重物質を入手し、次々と人体や機械を製造し、移住計画は順調に進展した。
こうして第5暦が始まった。
満足度指数プロジェクト
第3地球に人類が降り立ってから200年が経過した。最後の1人が目覚め、第3地球に80億人全員が揃った。体を乗り換えて使用する人体も100億体製造した。人体に対する制度やその他の制度は第2地球の制度に合わせて制定した。
インフラもほとんど出来上がっていた。濃い大気中での生活は、小天体の衝突のリスクは少なく、また元々安定した領域として選んだ太陽系であり、小惑星の衝突や他の太陽系からの天体の衝突のリスクが極めて小さく、安全で平穏な暮らしを続けていた。
リスクがほとんどないこの第3地球では、インフラの整備と80億人を目覚めさせた後に重要なミッションは少なくなり、徐々にだが人々の満足度が低下し、上田政権の支持率も僅かに低下し始めた。
上田政権は〔満足度指数検討プロジェクト〕を組織し、プロジェクトの議論が始まった。
「平穏すぎて人々の満足度が低下してきたようだ」
「しかし既に満足指数改善に対する事はほとんどやり尽くした。だからこそ満足度も極僅かな低下で済んでいる。これ以上どのように脳を改良すれば良いだろうか」
「いっそのこと何か大きな危機を作ったほうが良いのでは。大きな危機を作ればミッションができ、間違いなく活性度は高くなり満足度向上につながる」
「作った危機を制御できずに重大事態になったら誰が責任を取るのだ。重大事態にならなくても、我々がわざと危機を作った事が知られてしまえば責任どころの話でない」
「脳内ソフトの新たな改良のネタを探そう」
「最近少しだが離婚率が増加しているようだ。これをネタにできないか」
「原因は何なのか」
「仕事の量が少なくなり勤務時間が短縮した。その分、家にいる時間が長くなった。これも一因のようだ」
「つまらない事で喧嘩して、それがわだかまっているのだろう」
このような検討経過を経て、1000組の不仲カップルを対象に脳内調査が行われた。 わだかまりについて解析したところ、一方が気にしている事を相手は気にしてなく、逆に相手が気にしている事をその相手が気にしてなく、気にする事のミスマッチがわだかまりの多くの原因である事が判明した。
さらに分析を続けると、小さないさかいの記憶が拡大し、事実と異なる記憶に変化する事もわかってきた。
プロジェクトはこの点に着目し、互いの記憶のミスマッチを解消する〔マッチングソフト〕を開発した。カップルの相互の記憶を対比して、マッチングするように記憶を修正するソフトである。
調査した1000組のカップルにマッチングソフトの内容を話し、半数のカップルがこのソフトの実験に応じた。ソフトを追加された500組のカップルは一様に「何であんな小さな事にこだわっていたのか」ともどかしく感じ、今までの不仲は解消した。この結果を残りのカップルに説明し、ソフトの追加を行い、全カップルの不仲が解消した。実験は大成功である。
不満のない世界
プロジェクトは予想以上の成果に気を良くし、他への応用を検討した。
「これで離婚問題を完全に解決できる。大成果だ」
「小さなトラブルが原因でギクシャクしている家族が増えているようだ」
「うちだってそうだ」
「家族全員を対象としたマッチングソフトを作ろう。6人家族なら3組のカップル別々ではなく、6人全ての記憶を調べ、全体をうまくマッチングするソフトはどうだろうか」
「それならソフトをインストールするのではなく、家族全員の記憶を記録し、AIでマッチングさせ、マッチング処理後の記憶を入れなおす家族記憶マッチング方式が良いのでは」
この検討結果の実証実験のため1000家族に対し家族記憶マッチングが行われた。1000家族の全員が「行って良かった」との結果となった。この結果を受けて再度検討が行われた。職場単位でも同様な問題があり、職場記憶用のマッチングソフトを開発した。職場記憶マッチングの結果も上々だった。しかしながら家族記憶マッチングを行った後に職場記憶マッチングを受けた者から「また家族の間がギクシャクしてしまった」との苦情があり、この問題について検討が行われた。
「原因は家族記憶マッチングで家族間の記憶のマッチングを計ったが、職場記憶マッチングにより家族間のマッチングが崩れたためだ。家族も職場も合わせた全体で行わなくてはだめだ」
「マッチングを行ってもその後の事はその後のマッチングでないと解決できない」
「この方法は事実上不可能ではないだろうか。家族や職場以外にも地域社会など、何もかもマッチングさせなければならない。それに年中行わなくてはならない」
「人類全員のマッチングを頻繁に行わなくてはならない。通信でも使わなければ不可能だ」
「第3世代の初期に、メモリー不足の関係で一般記憶は通信で行われていたと聞いている。それを応用できないだろうか」
「80億人全員の記憶を通信で集め、AIでマッチングをはかり元の人の脳に戻す事など、あの直並列通信用コンピュータを改造すれば簡単にできる」
プロジェクトの検討結果が田上政権に報告され、政権はAIマッチングを採用することを決定した。この方式を導入する方針と内容が第3地球の人類全員に詳しく説明され、国民投票が行われ圧倒的多数の賛同を得た。
全人類マッチング用AIソフトが開発され、大規模なシミュレーションが行われた。結果は上々だった。80億人全員の人体に記憶通信機能の追加と関連ソフトのインストール手術が施され、人類全体のマッチングシステムの運用がはじまった。
運用後しばらくは家族や職場から小さなもめごとが減少しただけで、大きな社会的変化はなく、平穏に運用されたが、これという大きな効果はなく、それを批判する者もいなかった。
ある時、社会に大きな問題が発生し、大混乱になってもおかしくない事態が生じた。しかし大混乱には至らず、事態は穏やかに終息した。大きな混乱なく終息したのはこのシステムによるところが大きい、とプロジェクトのメンバーは考えていた。
また別の問題が発生した。この新たな問題は政権のミスによるものだった。しかしこの問題も政権の支持率の低下を伴わず穏やかに終息した。このような不注意などによる問題はシステム運用前と同様に発生したが、問題は拡大する事なくすぐに終息した。
人為的なミスに対し人々は鷹揚になってきた。このように問題が発生する度に人々は鷹揚になり、ミスを犯した人をとがめる事はなくなった。プロジェクトの会議の開催頻度も減り、問題点の指摘もなくなってきた。
上田政権も新たな政策は打ち出さず、これに対して社会からの批判もなく、政権を批判する勢力もなくなってきた。
問題が発生する度に、AIは問題を終息するために人々の活性度を下げ鷹揚度を上げて問題を解消していた。やがて80億人全員、満足度が一様に高くなったまま思考は停止し、記憶を残したまま自我はなくなった。この星から事実上人類は絶滅した。