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SFI 人類の継続的繁栄 第9章『優秀な家政婦』

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

記憶の寝床 -トンネル堀について

隕石の危険が現実のものとなった今、記憶記録装置をより地中深くに設置することになった。しかしながら、実行に当たってわずかな課題が残っている。石英でできた硬い地盤を短時間でどのように掘るかの問題である。時間の問題がなければ単に機械的方式を用いれば良いが、いつまた隕石が落下するかわからない。できるだけ早く掘る必要がある。
 活性部門や関連技術者が招集され、この問題について議論した。

「深さ10km、直径2mのトンネルをできるだけ短時間で掘らなければならない。通常の機械的掘削方法では遅すぎる。掘削に活性物質を用い、短時間で掘削できないか検討していきたい」
「掘削装置に使う通常のバイトのようなものに活性物質を応用する事ができないだろうか。 バイトと触れた岩石の分子層だけエネルギーに変換するのなら、バイトと接触した部分の岩石が消失するだけだから、バイトに強い力をかけなくても簡単に掘削できるだろう。無論バイトに触れて消失する量はわずかでも、エネルギーとしては非常に大きい。効率よい冷却方法を開発する必要がある」
「バイトの替わりに不活性物質を用いたスコップを使用しよう。スコップの刃先に特殊な活性物質を焼き付けて、刃先の活性物質に直接触れた原子だけが活性物質に変換し、すぐにエネルギーに変換すれば軽々とスコップを岩石に突き刺すことができる。その岩石をスコップで掬い上げ、別の装置で穴の外まで運べば良い。発生したエネルギーは岩石を高温にする。高温になった岩石を穴の外に放出すれば掘削部分が高温になりすぎる事は防げる」
「触れた原子だけが活性化しすぐにエネルギーに転換するような都合のよい活性物質は本当にあるのか」
「裏半球側で、地球にはなかった貴重な物質が沢山見つかった。これにより色々な特性をもつ活性物質が作れるようになった。無論、憲法にある活性物質の安全基準は遵守する」

 バイトの替わりに多数のスコップを配した掘削機が開発され、早速、記憶記録装置を収納するための1kmの穴の掘削が始まった。記憶記録装置も大幅に改良され、瞬時通信装置や電源を受電するための特殊アンテナも取り付けられた。記憶記録装置を作動するための電源として、小型充電式質量電池を搭載し、質量電池の容量が減少したら、地上から特殊アンテナへ向けて電磁波を送信し、質量電池を充電するように構成されていた。
特殊物質を混ぜたシリコンを原料に、シリコン変成機により強靭なカプセルが製作され、記憶記録装置や質量電池をカプセル中に閉じ込め、地下1kmに埋蔵され、穴の入り口には強力な蓋が取り付けられた。

人体だけで高度な仕事もこなす問題

 記憶記録装置が地下深くに設けられ、試験的運用が開始され何ら問題はなかった。他の4箇所の電子脳シェルターに保管してある電子脳に対しても同様な措置がとられ、これでこの星が消滅しない限り、50億人の命が失われる可能性は限りなく小さくなった。

 隕石による命の問題は完全に解決し、隕石を気にせずに外出できるようになり、社会全体が活気を取り戻し、人々は仕事にレジャーに忙しい日々を過ごすようになった。 帰宅時間が遅くなり、帰宅してから家事に時間を取られることをきらい、外出中に、自分の人体がもっと家事をこなすことを望む声が多くなった。
政府は〔人間仕様変更プロジェクト〕を再び組織し、この問題を検討するように指示した。
政権の幹部が議長に就任し、プロジェクトの会議が開催された。

「隕石により命を落とす危険はなくなり社会に活気が戻ってきた。仕事にレジャーに活発に行動するようになり、以前より帰宅時間がおそくなってきた。活発になった事は好ましいことだが、帰宅してからの家事について夫婦でもめごとも起こるようになった。外出中に自分の人体がもっと家事を行っていればこの問題は解決するが、現状はどのようになっているのか」
「今は人体から電子脳を分離し、電子脳が瞬時通信で人体を使うようになった。それまでの副脳は瞬時通信機能と一体化し人体側に残した。そのため副脳の主な役割は瞬時通信処理になった。その副脳の余った部分に簡単な家事を行えるようにソフトを入れた。新規に副脳を設計すれば本格的な家事ができるようになる。技術的には極簡単な事だ」
「どうせ副脳を交換するのなら、将来の別の要求があった場合でもソフトの修正だけで対応できるように、ハードも基本ソフトも充実させたほうが良いのではないか。交換には費用がかかるが、副脳の性能向上にはほとんど金はかからない。人間は気まぐれだ。いつどの様な不満を持つかわからない。政権も同様だ。支持率のためならどの様な人気取りの人体政策を出すかわからない。色々な要求に対しソフトの追加だけで簡単に応えられるように大きめに作っておこう」
「今後住民からどの様な不満が出るか、政権からどの様な人体への人気取り政策が行われるか、可能性のあるものは全て洗い出してみよう」

 要求される可能性のある機能を記した膨大な資料が作成され、担当技術部門に渡された。担当技術者達は分厚い資料を見てため息を漏らした。全てを実行できるように副脳を設計するのは大変な労力が必要になる。
担当部門による対策会議が開かれた。

「膨大な仕様だ。これを実行できるようにするには電子脳どころではない。もっと複雑な設計が必要だ。要求内容にまとまりがない。副脳では絶対できない内容も多くある。まともに取り合っていたらどうにもできない。しかし、要求仕様の多くを満たせるハードウエアは電子脳のハードウエアが丁度良い。まさか電子脳以上のハードウエアを副脳に使用するわけにはいくまい」
「電子脳の製造装置の償却はとっくに済んでいる。材料費もほとんどかからず今ではただ同然に製造できる。基本ソフトも電子脳のものを流用すればそれで済む」
「追加の可能性の高いソフトは予め動作しない状態で積んでおこう」
             
 家庭で使用する50億個の人体に、〔人体だけでほとんどの家事をこなす事のできる副脳〕に交換する詳細な報告書が人体製造省に提出された。
交換費用と時間のほとんどが交換作業に伴うもので、副脳自体のコストは非常に低かった。そのため、万一副脳が電子脳を支配する可能性や自我を持つ可能性をチェックする〔最大能力調査〕〔安全性調査〕の調査対象にはならず、その点も付記して政権に提出された。政権幹部が費用の内訳を見て驚いた。ほとんど予算措置の対象にならないこの案件は、政府内で簡単に承認された。
外出中にほとんどの家事を人体が行う、画期的な人体改造についての内容が発表された。自宅で使用する人体のみが改造の対象で、改造に必要な新機能の副脳は国が無償で提供し、交換費用の実費だけ希望者が負担する内容だった。

忖度の有用性

第1次交換希望者が募集され、10億人が応募し、10億体の人体が新しい副脳に交換された。交換後の評判はすこぶる良かった。外出中に家事や雑用のほとんどが自分の人体によりおこなわれ、帰宅後家事に追われることはほとんどなくなった。この評判は口コミやネットにより国中に広がり、最終的に50億人ほとんどの住民の人体が新しい副脳に交換された。
 人体を装置として所有する法人からも副脳の交換についての陳情が相次いだ。仕事が終わり帰宅後に残された人体は自動的に待機場所に戻るようになっているが、副脳を交換する事により帰宅後残された人体が掃除や後かたづけ等を行うようになれば、大きな経費削減につながるからだ。
企業経営者からの相次ぐ陳情に対し、政権内でこの問題について議論した。

「自宅で使用する副脳の交換は大成功だった。政府の負担はほとんどなく、国民は大満足している。政権の支持率も急上昇した。政権誕生以来最大に成功した政策だった。帰宅後に行う雑用がなくなり、夫婦で共有できる時間が大幅に増加した。性行為のソフトの改善もあわせて、夫婦関係が大幅に良くなり、離婚率も桁違いに下がった。副脳の交換がこのような大成功を収めたのは、何と言っても外出中に家事がすっかり済んでいることだ。ただで優秀な家政婦を雇っているのと同じで評判が良いのは当たり前だ。評判が良すぎて法人で使用する装置としての人体にも適用してほしいとの陳情も相次いでいる。これについては慎重に考えなくてはならない。あまり副脳を改良すると、帰宅後に職場に残った人体が雑用を行うようになる。掃除などを行うと清掃業者の仕事が減ってしまう」
「掃除や雑用だけの問題ではない。単純な組立工場なら、従業員が帰宅後に人体だけで組立作業を行い、雇用の問題が生じる」
「単純組立作業なら今でもロボットが使われている。それと同じことでは」
「ロボットで出来るような極単純作業は、もともと従業員は行わない。従業員が行っている組立作業はロボットでは出来ないような複雑な作業だ。副脳を交換すると、人でないと出来ないような複雑な作業も終業後に人体が行なうことになる。それどころか従業員を解雇して、最初から人体だけで複雑な作業をさせるようになるだろう。今でも単純な作業は24時間体制でロボットが作業を行っている。そのような業種では、従業員はロボットの修理やロボットの作業管理だけ行っている。副脳を交換すると、ロボットの修理や管理業務も人体だけでできるようになり、従業員の職を奪いかねない。この問題は相当に慎重に行わないと急上昇した支持率が急降下しかねない」
「副脳を交換し、人体だけで出来る仕事は人体だけで行えるようにして、人でなくては出来ないような新しい高度な産業を興したほうが良いのではないか。そのほうが前向きの政策だ」
「高度な新規産業を興す事が重要なのは当たり前だ。問題は人と人体との線引きだ。副脳を強化しても自我は持たないが、能力は人に近づく。人の能力の改良は法により厳しく規制されている。このまま何の規制もかけないと、自我を持たない副脳のほうが人より能力が上になってしまう」
「副脳の能力の規制は必要だが、自分で所有する家庭の人体以外に副脳の交換を全面禁止するのは現実的でない。現に違法に副脳を交換する業者も多い。単身赴任者の多くは自分の人体を2つ所有している。特殊な接客業では、仕事で使用する人体にはいつも化粧や手入れが必要だ。出勤してから化粧を行うのは時間がもったいない。出勤後すぐに仕事ができるようにする要求は非常に高い。要求度は仕事の内容により異なるが基本的にはどの業種でも同じような要求がある」
「裏半球側で採掘作業に従事する人からの切実な陳情もある。隕石がいつ落下するかわからないので作業後すぐに帰宅したいが、後片付けをしなくてはならない。人体だけで後片付けが出来るようになればこの問題は解決する。現在は自分の所有する人体に限定されているので、職場で使用する人体を自宅で使用する自分の人体と交換させている業者もあるようだ」 

 このような議論をへて、政府は法人が装置として使用する人体にも副脳を交換できるように一定の規制の下、認可する事にした。
 各企業や法人から色々な要求があったが、それらの要求がある事を前提とし、ソフトの動作を禁じる部分を書き換えるだけで全てのソフトが機能するように予定していた。しかし共通性とソフトの管理の問題から、最終的には、禁じる部分の制限ソフトをなくし全ての機能を使用できるようにした。必要以外の機能が盛沢山に入っているが、ユーザーが必要に応じて機能を使えば良いだけのことである。
その機能の使い方は、人がその人体を使用中に、「この事をやってもらいたい」と思うだけで、副脳がその内容を忖度し、沢山の機能の中から必要な機能を選択して使用するようになっている。個々のソフトは単純なものだが、忖度するソフトはかなり複雑で人間くさいソフトである。

 新たに製造する副脳は、始めから全ての機能が使えるように設計した。本人が所有する交換済みの50億体にも、副脳のソフトの一部を書き換えて全ての機能を使えるようにした。最終的にこの星にある人体のほとんどが、機能が大幅に充実した新しい副脳に変更された。

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