この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
消滅と再生
バーチャル側によるクロックの実験が始まった。
1京クロックを1周期として実験する事にした。先ず1つおきにクロックを飛ばしてみた。リアル世界の監視カメラに接続された画面では、街を行き交う人の動きが2倍になった。今度は前半のクロックだけを飛ばしてみた。人の動きががたついた。
次にソフトに工夫をこらし正弦波で変調してみた。人の動きが踊っているように見えた。モニターを見て笑いながら実験し、各種変調方法を試した。
リアル側でも技術者がバーチャル世界の動きをモニターしていた。バーチャル側の技術者の悪乗りに、少し怒りを覚えながら観察していた。
どんどん動きが遅くなってきた。リアル側の技術者は危険を感じ会話スイッチを押した。しかし会話はできなかった。バーチャル側の動きが完全に停止してしまった。
緊急に関係者が招集されこの問題の解決に向け議論を行った。
「悪乗りしたバーチャル世界の技術者が事故を起こしてしまった。技術者はクロック飛ばし続け、リアル世界の人の動きが急速に速くなるのを見て楽しんでいたのだろう。最後に全部のクロックを飛ばしてしまい、完全に停止してしまった。何か打つ手はないだろうか」
「こちらでバーチャル側のソフトを操作できないのか」
「肝心のクロックが動いていないので、こちら側からはバーチャル側のクロックのソフトを動かせない。リセットだけしかできない」
「リセットしたら330億人が死んでしまう。このまま凍結するより仕方がない。このまま凍結してもクラウド装置には330億人が眠ったまま残っている。死ぬ事ではない」
「元第8世界も凍結状態になっている。この衛星で2つのバーチャル世界が凍結したままになるということか」
「先ず、クラウド装置をリセットし、次に元第8世界に電源をつないで動かし、相互に瞬時通信で一体化して、リセットしたクラウド装置と元第8世界が同期し、元第8世界のデータがクラウド装置にも移ったら瞬時通信を切り離し、元第8世界のクラウド装置をリセットすれば良いのではないか。元第8世界の人間はここのバーチャル世界の人の分身だ。分身がもともとのバーチャル世界に戻るだけなのでリセットしても問題ないだろう」
「大問題だ。つい先日まで運命共同体として我々と同格に付き合っていた中野大統領を中心とした330億人を殺してしまうことになる」
「そういう見方もできるが、事故を起こして死んでしまった330億人を1000年前に戻して復活させたという見方もできる」
「復活させよう。だが1000年近くの記憶が飛んでいる。文句が出ないだろうか」
「それは問題ない。隕石の事故が起こり、救援の宇宙船が来たら、いきなりこの衛星のクラウド装置の中のバーチャル世界に戻った。それもバーチャル世界の元祖に戻った事になる。誰も文句を言う事はないだろう。正直に今までの経緯を話しても文句が出るはずがない」
四足政府にも参加を求め、両政府により慎重な検討を行い、停止したバーチャル世界を救済する方法として元第8世界に置き換える事に決定した。一連の作業が終了し、元第8世界が突然この衛星のバーチャル世界に置き換わり、現れた。
元第8世界の住民から見たら、400年かけて救援の宇宙船がやってきて救援作業がおこなわれ、救援作業中にいきなりバーチャル世界の元祖である、この衛星のバーチャル世界に戻っていたという、なんとも唐突で幸運な出来事である。
復活したバーチャル政府にしても、このように行なったリアル政府に対し感謝感謝であり、不満のありようもない。バーチャル政府はリアル政府に対し、この間の経緯について一切問い合わせは行なわず、リアル政府も極当然のようにバーチャル政府と接した。400年間のロケットでの航行と隕石事故の記憶を除けば、全く自然な両者の関係である。
安全保障問題
3政府の高官がリアル世界に集まり、第6太陽系の今後の方針について協議した。3政府とも利害の不一致点は全くなく、運命共同体である事を確認した。
安全保障、特に他の太陽系との関係について議論に及んだ。
リ:「この銀河系の外を目指して航行した10個のバーチャル世界については、残念ながら第3世界が隕石により消滅してしまったが、第8世界はここから120光年先で停止したまま安定して存在している。他の8つのバーチャル世界は順調に航行を続けている。特に航行を続けている8つのバーチャル世界は、何れはこの銀河系から離れ、少なくとも他の人類との安全保障の問題は完全になくなるだろう。リアル世界でも第4太陽系から天体ごと銀河の先を目指して航行し、この銀河系外の過疎領域に静止し天体群を形成しているが、これも銀河系の恒星群から遠すぎて他の人類からの脅威は全く無いだろう。しかし我々のそばには他の人類が生息している3つの太陽系が存在する。人類の歴史は常に争いの繰り返しだ。近くに他の人類がいることは安全保障上の最大の脅威である。この問題をどう解決するべきか」
ヨ:「我々四足人は純粋な人類とはいえないが、人類の争いの中で誕生した。人類は争いが好きだ。他の人類からの安全保障が必要である。我々には理想物質や活性物質の十分な技術と経験がある。われわれの活性技術を使えば天体ごとこの恒星群の外に出る事は可能だろう」
リ:「可能な事はわかるが、航行中の微小天体の問題がありリスクが大きすぎる。バーチャル世界の場合は分身によりリスクの分散を図ったが、リアル世界では分身を行うのは容易でない」
ヨ:「小さなブラックホールを沢山作り、空雷で囲む事も可能だが、空雷は取り扱いが難しいし。それに空雷の技術は第5太陽系のほうが上だろう」
バ:「第4太陽系も第5太陽系も瞬時インターネットが発達していると聞いている。しかしバーチャル世界があるとは聞いていない。瞬時ネットそのものが巨大なクラウド装置との見方もできる。インターネットの中での作業なら我々の出番だ。相手から遠く離れる事には膨大な資金やリスクが伴うが、バーチャルでなら相手の懐であるインターネットに飛び込むのは簡単だろう。わざわざクラウド装置など作らなくても、クラウド装置ならインターネットの中に山のようにあるだろう。早速バーチャル世界に戻って技術者に検討させる」
新たな戦略
バーチャル政府の高官が急いでバーチャル世界に戻り、上級技術者を招集し会議を開いた。政府高官の趣旨説明の後、活発な議論が始まった。
「我々は第3~第5太陽系の膨大なインターネットの事はほとんど考えたことがなかった。第6太陽系のリアル政府の理念が物体至上主義なので、インターネットはほとんど構築されていない。クラウドという概念を作ったのは第1世代末期のインターネット技術の進展にある。ネットの中には我々のクラウド装置のようなものはいくらでもあるはずだ」
「それほどクラウド装置やインターネットが発展しているのに、第4,第5太陽系にはどうしてバーチャル世界がないのだろう」
「インターネットの進展と、我々がバーチャル世界を作ったのとは全く意味が違う。我々はバーチャル世界に移行する事を前提に色々な思考実験と実実験とを繰り返し、計画的にバーチャル世界に移行した。これに対し他の太陽系では通信や人体を乗り換えて移動する技術が発展し、それに伴って巨大なインターネットが構築された。ある意味では『他の太陽系は全ての人がバーチャル世界に移行した』とも見なすことができるが、我々のように最初からバーチャル世界を目指し、計画的に行ったのではない。本当のバーチャル世界を築いたのは我々だけだ」
「バーチャル世界を築く技術は我々のほうがはるかに上だ。しかしバーチャル世界の元となるクラウド装置のあるインターネット技術は、別の太陽系のほうがはるかに上だ。我々の活躍の場は向こうの太陽系のネットの中のほうがはるかに大きい。我々バーチャル人にとって第3~第5太陽系はいくらでも開拓できる広大な領域だ」
「向こうのインターネットを調査に行くにしても移住するにしても、向こうのインターネットに入り込まなくてはならない。帰る手段も必要だ。第6太陽系と他の太陽系との瞬時通信は遮断していると聞いている。瞬時通信を再開しなければ話にならない」
「遮断したのではなく、だましあいに気まずくなって連絡を取っていないだけのようだ。何れにせよ通信の再開については我々の出る幕ではなく、リアル政府が行うことだ。我々がするべき事は通信中の瞬時波に乗り、相手のインターネットにもぐりこむ方法の開発だ。無論ハードがらみなのでリアル人の技術者と共同で開発する必要がある。インターネットにもぐりこんでからその先の作戦は我々が考えれば良い」
「インターネットの中でうろついていると怪しまれる。手近な記憶装置を見つけてすばやく入り込もう」
「記憶装置には必ず複雑な錠があり、異常データの侵入を阻止しているだろう。鍵がなければ中に入る事はできない」
「生きている知能のある者の侵入を前提として錠は作られていないだろう。データに知能がないことを前提に作られているはずだ。記憶装置の入り口でツールを使い、鍵を作ることができるだろう。鍵を開けるための高度なツールを予め作っておこう」
「記憶装置にもぐりこんだら、先ず我々のための領域を確実に確保する必要がある。確保しないとその領域に他のデータが書き込まれ、我々は消去されてしまう。事前に領域確保のソフトを開発する必要がある。領域を確保したら、そこに前線基地を作ろう。確保できる領域が小さすぎたらすばやく大きな容量の記憶装置を見つけて領域を確保しよう。場合によってはすぐに本格的な記憶装置にたどり着くかも知れない。本格的な記憶装置にたどり着いても、領域の確保は全容量の20%までに留めよう。あまり大きな領域を確保すると異常が発覚するリスクが高まる」
「その後はインターネットの内容を良く観察して、あちこちにバーチャル世界を築き上げ、実質的にその太陽系を支配しよう」
このような検討結果がまとめられ、両政府に報告された。第4太陽系のインターネットを探索する作戦は、バーチャル政府とリアル政府によって承認された。