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『SFA 人類の継続的繁栄 第1章 新誕生システムとその背景』1

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

21世紀における世界的な少子高齢化問題

 世界における紛争があらかた収まった21世紀後半において、人類が抱えた最も大きな問題の1つが少子高齢化問題だった。医療技術が大幅に進展した結果、平均寿命が100歳を超えるようになった。ただし、寿命を伸ばす医療技術は、必ずしも現役で働ける年齢をその分引き上げる事はできず、平均して約30年間のブランクが生じ、社会保障費の増大、介護の問題に苦しみ続けた。また、ぼけてしまった場合は別だが、要介護者の多くは家族や社会に迷惑をかける事を嫌い、過剰介護を望んでいなかった。
各国の政府も社会保障費の増大に苦しんでいた。また親や伴侶の介護に苦しみ、自殺に追い込まれる人も多くいた。つまり、誰も介護や社会保障費の増大を伴う超長寿社会を望まないにも係らず、これまでの社会体制とそれを作り上げてきた主義思想はこの問題を解決できずにいた。政治家や有識者はこの問題をストレートに議論する事はできず、この問題に対する議論は堂々巡りするばかりで、その間、社会は大いに疲弊していた。
 このような誰も望まない社会では、特に若い世代の負担が大きく、その多くが将来を悲観し、少子化に拍車がかった。また、世代間での対立はますます深まることとなっていくことにもなった。
例を挙げるならば、次のような動物学上の過激な考え方が若者世代で大いに支持されるような現象が頻発したのである。 

 「地球上に生命が発生してから現在までは命はつながれてきた。命をつなぐための絶対的条件は、次世代をそれなりの数で誕生させる事にある。次世代につながれば、バトンを渡した前走者は用済みで、例えばサケは産卵後すぐに死ぬ。メスのカマキリは交尾後のオスを食う」

 皮肉にも医学の進展が、命をつなぐ輪を乱している。医学の進展により、命をつなぐ輪の外にいる人の寿命が大きく伸び、結果として医療費、社会保障費が増大し、子供を設けるための投資の余裕がなくなってきた。親の介護のため結婚できない人や、会社を辞めなければならない人も増加した。医療の進歩と、老いた親を大切にする人間としての当然の行為が、少子化を招き人類を絶滅の淵に追い込んでいた。
当然、病気がちの年金世代の人が医療を多く受け、健康でバリバリ働ける人はあまり医療を受けることがない。従って、働ける現役世代より、現役を引退した人生の終盤の病気がちな年金世代が、より多く医療の恩恵を受け、現役年齢の引き上げ効果より、寿命の引き上げ効果のほうが大きく、年金生活期間、介護期間の増大につながってしまった。

21世紀前半に確立していた技術

 西暦2010年ごろから胎児の遺伝子診断が話題になってきた。誰しも自分の子供が重大な遺伝病になる事は望んではいない。
2025年時点での関連情報として次の事実があった。

・体外受精技術はかなり前に確立され、広く普及していた。
・受精卵分割関連技術は確立していた。
・ビッグデータの活用により、ほとんどの遺伝子の役割は解明されつつあった。

 これらの事から2030年までには自然受精によらず、体外受精による方法が急速に普及すると考えられていた。例えば、体外受精により受精卵を10個作製し、それぞれを分割し、分割した一方からゲノムを取り出し、遺伝病やその他の病的問題がないかを調べ、10個の内の最良の受精卵を胎内に移植する。このようにして遺伝病のない健康な子供が誕生させる、いわばゲノムの選別である。
これに対し、分割した受精卵をDNA検査に使用するのは倫理上の問題があり、そのような事にはならない、という意見もあった。しかしながら倫理観は時代と共に大きく変わってくる。

・400年前なら体にメスを入れる事は考えられなかった。
・90年前なら臓器移植など許される事ではなかった。
・60年前なら体外受精も同様に許されることではなかった。

 しかし、いずれも2025年では当たり前になっている。医学の進歩と共に倫理観もかわる。特に命の救済という名目であればどんどん変わってきた。そして、子供が障害を持つ事を望む親はいない。従って感情論を抜きにした科学的な見解では、2040年までには次の技術が当たり前になるとの予測が多数派になっていた。

・受精卵の状態で、障害の基になる遺伝子を正常な遺伝子に換える、受精卵手術が普及する。
・大人になってから外科的に美容整形するよりも、受精卵での美容整形が普及する。

21世紀前半に流行した依頼殺人ビジネス

 高齢者の多くは、自分の介護により家族に迷惑を掛ける事を望んでいない。また介護を受け、ただ生きているだけの最後は望んでいない。高齢者の多くは「ピンピンコロリが一番」と考えている。
 このような考えを代表するかのように、『最後のマナー』という著作物が発刊され、先進諸国で大ベストセラーとなった。
日本では一時期〔終活〕という言葉があった。終活とは主に自分を中心にとらえた活動だが、最後のマナーとは文字通り、家族や社会に迷惑を掛けずに死を迎える、最後のマナーについて考え方であり、この本は高齢者に大きな影響を与えた。
 最後のマナーをどう行なうかを考えている高齢者をターゲットとするような、反社会的組織や個人が新しいビジネスを考え出した。それが依頼殺人ビジネスである。これは依頼者が寝たきりになった場合などに、依頼された者が依頼者の始末を行うビジネスである。当初は反社会的組織が金に困っていたり、トラブルを抱えていたりする医療関係者と組んで行っていたが、安楽死に関連する知識を持った若者もこれに加わった。
 このビジネスが始まった頃は、社会は無論この殺人を取り締まろうと躍起になった。しかし、この事件が広がるにつれ、日常茶飯の事としてあまり報道されなくなった。
また、あまりにも頻発し、実質上被害者のいないこの不法行為に、警察もあまり捜査に力が入らないようになった。また、この依頼殺人ビジネス、安楽死ビジネスを金儲けの手段としてではなく、ある種の社会貢献、正義の活動と考えるようになる者も現れ、中にはこのビジネスで得た資金の一部を、慈善事業に寄付するような者も現れた。
 この不法行為に対し「人間としてあるまじき全くの不法殺人行為であり、厳重に取り締まるべきだ」との強く正論を展開する識者も多くいたが、現実問題として、きれいごとでは大半の国家が潰れてしまう状況で、長いものには巻かれるような世論も増え、やがてこのような正論もあまり取り上げられなくなった。

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