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SFA 人類の継続的繁栄 第4章 『癌患者事件』

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

癌患者発生

 第2暦150年、次のような恐ろしい事態が発生し、人類は一時期大きな危機に直面した。   
 新誕生システムが運用されてから150年後、30代の人の中から、体の各部に小さな癌が発生する病が、250人に1人の割合で発生した。すでに癌を治療する医療技術の多くはロストテクノロジーになりかけており、癌を摘出する外科的手術だけがこの癌に対する唯一の治療だった。
 調査の結果、癌を発症した患者のロット番号が20番だということがわかった。しかし、関連する遺伝子を徹底的に調査しても癌細胞が発生することになった因果関係は解明できなかった。調査範囲を広げ、癌と関連しないと思われる遺伝子についても調査が行われたが原因はわからなかった。
 またゲノムに記録された90桁のDNAの分析も行った。これらのDNAは、これまでの研究では「何ら遺伝には関係ない、何の役目も果たしていない」と見なされていた。
 しかし分析の結果、この内のいくつかのDNAが特定の状態に記録されている事が判明した。原因は不明だが、何ら遺伝には関係ないと見なされたDNAのいくつかが、ある特徴的状態に設定される事により、この病が発症する事が判明したのである。
 また、この病の対象になるロット番号は20番だけでなく、21~23番にまで跨る事も判明した。この4つのロットの対象者数は約20億人に達し、そのうちの250人に1人、約8千万人が発症する事がわかってきた。

 新誕生システムでは、核心遺伝子以外の遺伝子は自由に操作して人を誕生させる事ができるが、一旦誕生した人の遺伝子を操作する事は原理的に不可能である。
外科的手術以外には有効な手立てがなく、手術で癌を取り除いても再発を繰り返し、旧世代と同様に患者は手術を繰り返す苦痛を強いられることとなった。
 この癌患者発生の問題は、世界中で大きな騒動となった。新暦に移行して150年、社会の当たり前として築き上げられてきた人の価値観からすれば、あってはならない、信じられないような事態だったからである。
 あらゆる責任問題が追求され、対象者への万全な保証を求める声が全世界的に巻き起こった。そんな世論に答えるべく、対象となる8千万人を救済するための大規模な国際プロジェクトが発足した。
 プロジェクトでは過去の文献から化学療法、放射線療法、その他各種の治療方法が議論されたが、その出口はなかなか見えてはこなかった。
過去の文献を検証した結果、従来あったそれらの治療を行っても、患者の7割は発症後5年以内に死亡すると推測されたのである。プロジェクトでは総力をあげ根本的治療方法を模索したが、ほとんど有効な成果がないまま1年が経過した。
 その間、プロジェクトとは全く関係のない医療者や研究者がさまざまな説を唱えることにもなり、世の中を混乱させることにもなった。東洋医術やオカルト的な新興宗教といった迷信じみた治療法がブームとなったり、多くのメディアがフェイクニュースじみた情報を売り飛ばしたりした。
 そんな頃、医療とは別の方向で解決策を模索していたグループが、とある技術を発見した。それは前時代の末期、西暦2095年に危険技術として研究が中止された、ほぼ完成の域に達していた画期的な癌治療の技術である。
 その医療技術は「スキャナー・プレート手術」と呼ばれるものであった。

スキャナー・プレート技術

 スキャナー・プレート手術の基本形は次のようなものである。
患者を完全冷凍し、生命活動のない物体にして、分子レベルの3Dスキャナーで冷凍した患者の体を丸ごと分子レベルでデータ化しコンピュータに取り込み、コンピュータ上で癌細胞のデータを正常細胞のデータに変換する手術を行い、手術後の体のデータを使用し、分子レベルの3Dプリンターにより患者の体を新規に作り出す方法である。
 分子レベルの製造のため、知性も記憶も全く元の患者と同じであり、単に癌組織だけが正常組織に置き換わる画期的なものであった。
ただし、この基本形では冷凍した手術前の患者がそのまま残るという大きな問題があり、この問題を解決するための有機物断面変換プレート技術を開発した。
 このプレートは厚さ0.1mm、縦横50cm角のプレートで、表面にはコンピュータのデータに基づき面状に有機物の合成を行なう分子合成薄膜が、裏面には接した部分の有機物を分子に分解する分子分解薄膜が形成されている。
裏面によりプレートに接触する人体の断面を分子レベルに分解し、分解された分子が表面に移行し、コンピュータのデータに基づき表面で新規断面を再合成するようになっている。
 このスキャナー・プレートを用いた手術の手順は次のようである。

  1. 患者に麻酔をかけて冷凍し、生命活動のない物体にする。
  2. 3D分子スキャナーにより冷凍された物体全体の分子レベルデータをコンピュータに取り込む。
  3. コンピュータ上で癌細胞を正常細胞に変換する。
  4. 有機物断面変換プレートとコンピュータを接続し、有機物断面変換プレートを秒速1cmの速度で足先から頭頂部に移動する。
  5. 手術終了後、解凍・蘇生処置が施され、癌組織を正常組織に変換された患者が目覚める。

 無論、病によりやせた状態はそのままだが、外科手術のように切除された癌の肉片が残る事もなく、後でこの手術過程をビデオでみた当人も、0.1mmのプレートが数分かけて全身を透過するだけなので、全く違和感を覚えない画期的手術である。

隠れていた技術の背景

 この癌細胞事件において主導的な役割を果たすはずであった国際プロジェクトは、結果的にこの技術の存在を1年もの間、発見できなかった。最終的に別グループからの提案によってようやくその存在にたどり着つくことになったが、そうなった経緯には次のような理由がある。
 当時、この超画期的な手術方法は、民間企業の関連事業部門を統合した新外科手術プロジェクトにより完成寸前まで進んでいた。しかしながら、〔人類の継続的繁栄〕を理念とする国際政府により危険技術に指定されることとなった。もちろん、この技術に大きな資金を投資し、完成直前まで進んだこのプロジェクトへの参加企業はこの決定に大いに困惑した。
 一方、食品業界も危険技術である遺伝子操作が禁止され困窮していた。だいぶ以前から動物、特に哺乳類を食料とする事について、動物愛護団体による反対運動や、食肉を得るために大量の餌を必要とする食料としての効率の悪さから禁止の動きがあった。そのため、食肉の味や食感を作りやすい植物の研究・開発が盛んに行われた。その技術の中核の遺伝子操作の研究が禁止されたため同様に困惑が拡がった。
 食品業界のこの状況に新外科手術プロジェクトが目をつけ、スキャナー・プレート技術を食料の改質用に転用する事を提案した。はじめは果物から種などの不要物を除去する実験が試みられた。種を癌に置き換えた発想である。
人間のスキャナー・プレート手術の場合、冷凍して動きのない物体として扱う必要があるが、特に硬く小さな穀物などを改質する場合には、「スキャンしてデータを取り込み、プレートを通過させながら不都合部分を部分的に変換する一連の動作時間」が極短く、低温状態ではその間に植物内部の変化がほとんどないため、冷凍状態でなく低温状態で行われた。
 そのため最初は穀類から実用化したが、それだけではとても投資を回収する事ができず、ある種の果実を食肉風に変換するための技術を実用化した。人間の手術として使用するのは危険技術だが、多くの植物を食料にする事や、果実を食肉風に変換する事は、人類の継続的繁栄の点でも有用な事であり、第2世代に移行してからも一定の制限の下に研究開発が認められていた。
一定の制限とは、冷凍し、生命活動のない物体にしてから変換する事を禁じる事である。冷凍技術が伴わなければ、人や動物にこの技術が転用される恐れがないからである。
 第2暦20年ごろから果物、野菜等から不都合物改質技術が本格的に実用化され、ある種の穀物に至っては、全数コンベア上で改質されるまでに、このプレートによる改質技術は普及した。また毒素があるため食料として使用できなかった植物も、この技術により毒素が無毒物質に改質されるようになり、食糧事情は大きく改善された。

 このようにスキャナー・プレート手術の中核技術は、全く医療とはかけ離れた分野で、あまりにも当たり前に使用されていたために、かえって8千万人を救済するための大規模な国際プロジェクトの関係者は、なかなかこの技術に気が付けなかった。
 見つかったスキャナー・プレート手術の中核技術は、総力をあげて癌患者手術用のスキャナー・プレート手術装置が開発された。当時、若干の問題を残していた有機物断面変換プレートも、植物用に大規模に実用化される過程で大幅な進歩をとげ、問題は解消されていた。
しかしながら、植物用には必要なかった冷凍・解凍の技術に関しては別問題である。冷凍し、生命活動のない、動かない物体にした後に、スキャナー・プレート手術を行い、解凍して生命のある人間に戻す事が必要である。非常に高度な冷凍・解凍技術がなければ、たとえ癌は取り除かれても冷凍・解凍による大きなダメージが残ってしまい、この手術方法を使用する事は不可能である。 
 この冷凍・解凍の問題の解決に当たり、中核となるスキャナー・プレート技術が植物を優良な食料に変性するという、思わぬところで使用されていたため、当時開発中の冷凍・解凍技術も同様に、医療とかけ離れたところで技術が使用されているのではないかと考えられ、調査が行われた。
この技術についてはすぐに見つかった。魚の冷凍・解凍に当時の技術が引き継がれ、進歩をとげていた。
 哺乳類を食料にする事は禁止されたが、高級な動物性蛋白源として魚が世界中に流通していた。動物愛護団体も魚類にまでは規制を求める事はなかった。それまでは牛や羊を食料としていた、海から遠く離れた大陸の奥地にまで新鮮な魚を届けるための技術として、スキャナー・プレート手術に必須な冷凍・解凍技術が使用され、さらなる進化をとげていた。
 このようにして癌患者を救うためのスキャナー・プレート手術の技法は完成し、8千万人もの命を救う事ができたのである。

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