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SFB人類の継続的繁栄 第8章『第3世代人類の新たな一歩』4

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

ステータス・エラー

 記憶ドラッグ中毒の症状は、小型通信機の動作不良によって起こることは確実であり、その修繕は無事完了した。部品の故障などでない限り、通信機に内蔵されているソフトを初期設定に戻すだけで治るのだから難しいことではない。この方法では、いわゆる“ブックマーク”的なよく使う一般記憶へのリンクも初期設定されてしまうが、個人記憶から自然に再構築されていくので問題はない。いわば第3世代人類に備わった自然治癒力というものだ。ましてや新見はこれまで、いくつも小型通信機の修繕を行ってきたのである。失敗する確率は万に一つもなかった。
 本来は、これで一般記憶との通常回線が回復するはずであり、症状もなくなるはずである。しかしながら、患者は目を覚まさなかった。そしてシールドメモリーから伸びた配線をつなぎ直すと、再び小型通信機に何かしらの命令を送り続けている。新見には、これがエラーの原因であるという確信が芽生えていた。
 新見は、再びこの配線を小型通信機から抜くと、これを自分の外部端末に接続した。どのような命令を発信しているのか、そのプログラムを可視化するためである。その準備が終わると、モニタにはシールドメモリーが発信しているコードが表示された。
 モニタに映し出されたコードは凄まじい早さでスクロールしていく。繰り返し何かしら発信されているようだ。そして新見には、コードの意味はほとんど理解不能だった。新見には技師としての技術、いわゆる“外科”的な才能はあったが、ソフトの中身やそのバグをデバッグするような“内科”的な才能はなかったのである。
 普段の新見ならば、この時点でお手上げ。「何を無駄なことをやっているんだ俺は」と、すぐに諦めただろう。しかし、今回は違った。一線を超えているという覚悟と純粋な好奇心が、彼をさらに一歩進ませた。そして一般記憶を使って時間をかけて丹念に読んでいけば、なんとなくだが少しずつその内容が理解できた。
 まず、繰り返し出てくる特徴的な文字列が目についた。“ステータス・エラー”という表記である。そして、決まってその後ろには数値の表示と、その数値が足りないというような警告が記されている。この数値が足りないためにエラーが出て、それを小型通信機に送信し、通信機が不良動作する。恐らくこれが記憶ドラッグ中毒の正体だ。
 ただ、今回は患者が目を覚まさないという、異例の症状が出ている。目を覚まさないというのは、恐らく脳中枢に異常がある可能性が高い。
さっそく脳を確認してみると、やはり熱暴走の痕跡があり脳の安全装置であるセーフティレバーが落ちていた。いわゆる“ブレーカーが落ちる”というやつだ。
 「患者が使用した記憶ドラッグが、本人にとってよっぽど難しいもので、それを理解しようと個人メモリーと一般記憶メモリーを使って脳をフル回転させようとした。そのタイミングで運悪くか、必然か、記憶ドラッグ中毒が発症し一般記憶との回線が切れた。結果オーバークロックで負担がかかりすぎて脳がオーバーヒートというところか」
 原因が新見の仮説どおりであれば、あとの治療は簡単だった。恐らく、脳のセーフティレバーを戻した上で、電源を一回シャットダウンすれば、シールドメモリーから発信され続けている命令は揮発して停止するはずである。小型通信機の修繕も終わっているので、記憶ドラッグ中毒の症状もなくいつもどおりに目を覚ますだろう。
 「これで万事がうまくいった」
 普段ならばそう思ったはずであった。しかし、今の新見にはまったくそうは思えなかった。「ステータス・エラー」とその後に続く謎の数字、その正体を理解できなければ彼の燃え上がった探究心を鎮火することはできなかったのである。

――ステータス。

 その言葉を普通に考えれば、それは「社会的地位」や「階級」を意味する。そこから連想される仮説は、新見にとって憤りを通り越し、憎悪の感を高ぶらせるのに充分すぎるものだった。
 新見はこれまで、こんな場所でこんな仕事をやってなんとか生活しているのは、自分の若気の至りであって仕方ないことだと受け入れている部分があった。だから、自分の人生をなんとなく無気力に過ごしつつも、「それもまた人生」と達観した心持ちでいられたのである。
しかし、その原因が自分にあったのではなく、何か別の誰かによって決められたことであったならば、到底受け入れられることではなかった。

ある記憶ドラッグの流行

 それから、しばらくして、闇社会で“一つの記憶ドラッグ”が密かに話題になった。それは、とある医療技師らしき人物の記憶であり、その内容は衝撃的なものだった。

――自分のステータスは、あらかじめ何者かに決められている。

 そんな疑惑を抱かせるその記憶ドラッグは、社会からドロップアウトした人々にとっては福音ともいえるものであり、熱狂的なファン、支持者を生み出した。この記憶ドラッグは劣化コピーまでもが出回り、それらが拡散されると瞬く間に闇社会を飛び越えて、ついには一般社会にまで広がりつつあった。
 このような社会での動きに対して、政府の対応は遅かった。末端の公務員や警察組織にはこのような記憶ドラッグがあるという情報は早くから入っていたが、端から「バカどもが好きそうな陰謀論だ」くらいにしか考えられておらず左程、重視されていなかった。ステータス方式が完全に極秘裏に進められ、その情報共有がなされていなかったためである。
 しかし、一般社会でメディアに取り上げられるようになると、その対応は急変した。現場の捜査員に、記憶ドラッグの厳しい取締と発信元を特定するよう捜査命令がだされたのである。表向きは「記憶ドラッグ撲滅」という、よくあるキャンペーン的な題目であり、その真意は捜査員にも明かされない状態であった。
 本格的な捜査が進むと、問題の記憶ドラッグのオリジナルを売ったディーラーはすぐに特定された。最近、闇社会で成り上がっていたグループのトップで、かつて「実は、俺があの患者だったんだ」と自慢気に吹聴していたとの証言もあった。状況証拠をみれば、ほぼクロであろう。
 捜査は、まず捜査協力の名目で事情聴取を要請するところから開始した。ディーラー側は拒否したが、結果、捜査員の尾行が24時間張り付くことになり、それによって彼の組織の非合法な経済活動が立ち行かなくなると、態度を180度変えるようにして取引に応じた。問題の記憶ドラッグの販売停止とその回収への協力、そして元来の記憶の持ち主が誰なのかを明かすことが条件であった。オリジナルの記憶を持っている者がいる限り、いくらディーラー組織を潰そうとも、事態の集結は望めないのは自明である。
 捜査員がディーラーの案内で連れてこられたスラムの診療所は、すでにもぬけの殻であった。急いでここを引き払ったようで、医療器具や患者のカルテといった書類は残されたままである。ただし、記憶の中に出てきた外部端末など、いくつかの物品はなくなっていた。埃などの溜まり具合からみて、引き払ってから数ヶ月は経っていそうだ。誰かが出入りした痕跡もなく、恐らくその医療技師はここにはもう戻ってこないだろうと考えられた。
 その後、捜査は表向きには記憶ドラッグの回収へと向かい、裏では公安警察によって本格的に“新見”と呼ばれていたその医療技師の捜索が行われた。しかし、そのどちらも順調とは程遠いものだった。すでに拡散された記憶ドラッグは、劣化はあるもののコピーがさらに重ねられ、以前よりも勢いを増して“あの陰謀論の支持者”を増やしていた。また、件の医療技師・新見のその後の足取りもつかめず、民衆の政府への不信感はかつてなく高まっていった。

第3世代人類の統治機構とその現状

 第3世代人類が目覚めて100年あまり。最初は26名の小さなグループに過ぎなかった人類は、現在150万人に迫るほど拡大している。その間、人類を牽引してきた統治機構も大きく変化した。最初はグループ内での合議制で物事は決められていたが、人数が増えて役割分担が明確になってくると、組織やルールなども整備されていった。現状では、基本的には立法、行政、司法の三権が分立した、これまでの人類にとっても馴染み深い組織機構になっている。
 現在、立法は一院制の議会によって成り立っており、2年に一度の選挙によって151名の議員が選挙によって選ばれる。立候補資格は「人類の継続的な繁栄に尽力すること」を宣誓することが唯一の条件であり、誕生年や職業などは一切問われない。議員が特定の派閥に所属するなどの考えの違いはあるが、基本的には議員同士の協力関係が結ばれており、議論が対立することはあってもお互いの足を引っ張るようなことをする者はいない。つまり、一党支配による緩やかな独裁というような感じである。現在は、長年行政のトップを務めた阿部がとりまとめとして議長を勤めている。
 司法は、国家試験に合格した法律のスペシャリストで構成された組織になっており、そのトップである最高裁判所長官は立法によって指名され、内閣が承認することで決まる。現在は、第3世代人類の英雄とも呼ばれる上田がその座にあった。
 そして行政は、いわゆる大統領制であり、民衆に選ばれた大統領の指名によって各部門の責任者が決められ内閣が設置される。こちらは4年に一度選挙が行われる決まりになっているが、これまでは阿部という絶対的リーダーの存在がいたことで、選挙自体が有名無実なものであった。反政府組織によって対立候補が立てられることもあったが、その支持者は1%にも満たなかった。現在、井上がそのトップの地位にいるが、阿部の指名ということもあって信任投票の様相で当選した。
 このように、第3世代人類の統治機構は、旧人類における近代国家と同程度まで成熟していた。しかしながら形だけは体裁を整えつつあったが、その本質は100年前の合議制からほとんど変化していない。いわゆる“洞窟組”と呼ばれる古参がその地位をほとんど締め、最初の26名のうち現在15名が今も何かしらの要職にあった。
 これまでは、それで何も問題はなかった。一般記憶を共有した人類は、いうなれば同一の志向性を持った集団であった。種の繁栄と存続のために、先達がいかに努力してきたかを記憶として共有しているのである。現状に文句をいう者は少数の変わり者だけというのが自然な状況だった。そのため、これまで政府への支持率は細かな変動はあっても8割を割ることがなかった。
 しかし今、その支持率が6割を切った。そしてタイミングの悪いことに、来月には2年に一度の議員選挙がある。そんなニュースを見ながら、政府トップの執務室で井上は一人憮然としていた。

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