この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
第4暦10万年
月の天文台では巨大望遠鏡の完成直後から、この付近の別の太陽系の動きについて観測していた。何といっても旧太陽系を含め、この付近の太陽系が4つ消滅している。当然、4つの太陽系の消滅は、近くの恒星へ大きく影響するはずである。
観測当初はこの影響による動きは小さかったが、時間経過と共に動きが加速してきた。月の天文台では第2衛星の宇宙学者と共同して、今後の影響について計算が行われた。1万年以内に2つの恒星が接近し、この太陽系の遠くの惑星の軌道が少し変わり、安定して太陽系を回っていた大彗星の軌道が大きく変わる可能性が高い事がわかった。第2地球付近の領域は、1万年後には彗星の嵐にさらされ、第2地球への小惑星の衝突も考えられる危険な状態である。
この計算が正確でなかったとしても、宇宙のこの領域から4つの太陽系が消滅した事により、この領域が不安定な状態にある事に変わりはない。この太陽系から安定した太陽系への移住が必要である。
上田政権は、人類の継続的繁栄の観点から、安定した太陽系に移住するための〔大移住プロジェクト〕を発足させ、プロジェクトの傘下に次の5つのプロジェクトを設けた。
- 移住先探査プロジェクト。
- 移住方法検討プロジェクト。
- 宇宙船建造プロジェクト。
- 移住先開拓プロジェクト。
- 長距離通信検討プロジェクト。
時間はまだ十分にある。宇宙の中の安定した領域を探す事が重要である。
移住先検討プロジェクトは月の天文台を活用すると同時に、超大型宇宙望遠鏡を製造する事にした。この付近の太陽系の生物調査に使用した宇宙望遠鏡と同じ原理で、さらに大型化したものである。
巨大な主鏡を宇宙で製造し、主鏡と副鏡は連結せずに超精密位置制御技術を活用する、宇宙に浮かぶ巨大な望遠鏡である。
月の天文台で候補地を探し、宇宙望遠鏡でその候補地を詳しく調査する。候補地選定の最大の基準は周囲が安定し、惑星や衛星が沢山ある事である。惑星が沢山あれば、居住候補は沢山あるはずである。今の人類には水や空気は必要ない。適当な引力と太陽光、多少の資源があれば十分である。小惑星や巨大な彗星が衝突する可能性が小さな事が最も重要であった。
移住計画の仕様
このような基準の下、100光年離れた第3太陽系と110光年離れた第4太陽系の2つの太陽系が選定された。
移住方法検討プロジェクトは、宇宙船建造プロジェクトと連携し、次のような大枠の基準を定めた。
- 移住先は第3太陽系と第4太陽系とする。
- 第3太陽系には第1船団が、第4太陽系には第2船団が移住する。
- 80億人全員の記憶を記録した記憶記録装置を両船団に搭載する。これによりどちらか一方の船団に事故があっても、別の船団の記憶記録装置により80億人全員が生き残る。
- 両船団は旗艦と4隻の輸送艦により構成する。
- 船団長も含め両船団の300名の活動隊員は同一の隊員とする。
- 活動隊員300名が第1船団に残り込み、乗り込んだまま、第2船団に用意された250体の人体と宇宙船基地の50体の人体にも乗り込む。
- 第1船団が300名全員を乗せ、先に出航する。
- 第2船団が250名を乗せ、後から出航する。
- 宇宙船基地には50名が残り、第1船団、第2船団の出航を宇宙船基地から支援し、第2船団出航後、第2船団の移動室に用意された人体に乗り換える。
宇宙船建造プロジェクトは旗艦と輸送艦、合わせて10艦の宇宙船の仕様について検討した。
「原爆エンジンが大幅に進化したとはいえ、移住先の太陽系への航行には何百年もかかる。300名の活動隊員が長期間過ごせるように、安定した遠心力を作り出す円盤型にする必要がある。多くの貨物を搭載できるように、できるだけ大型化にする必要がある」
「大型といってもコイルバネの打ち上げ装置と原爆エンジンの推力では第2衛星の引力から脱するのに限界がある。その範囲内での大型化だ」
「強力なコイルバネを新たに作っては」
「強力なコイルバネは作れるが今回は精密装置も大量に積む。これ以上、重力加速度を大きくする事はできない」
「コイルバネはこのまま使い、原爆エンジンを増やせないか」
「底面の中心部の回転しない部分の面積を拡大すれば増やすことが出来る」
「微小天体の衝突を防止するシールドはできないか」
「円盤の上面に強力なシートを取り付け、円盤の上面とシートの間を高圧気体で満たせば、たとえ微小天体が衝突しても円盤へのダメージをかなり防げるのでは。最新のカーボン変成技術により桁違いの強度のシートを作る事ができる」
このような議論の下、強力シートと高圧気体によるシールドを円盤の上面に取り付け、下面に配する原爆エンジンの数を増やすことにした。また旗艦も輸送艦も同じ大きさで同じ仕様とする事に決まった。
長距離通信の諸問題
この太陽系から人はいなくなるのでこの太陽系と交信する事はないが、2つの船団同士の通信や、第3太陽系、第4太陽系に着いた後に、互いの状況を知るための通信は必要である。第3太陽系と第4太陽系の距離は25光年離れ、1回のやり取りに50年もかかる。この問題に対し長距離通信検討プロジェクトは次のように議論を始めた。
「1回のやり取りに50年もかかる。実質上、情報交換は不可能である。しかし同じ人類であるし、そもそも2つの太陽系に住む人間は、元は第2地球の我々である。こうして話している私分自身、今後は2つの太陽系に同時に住む事になる。自分自身の状況が自分でわからないのはもどかしい。少しでも改善する方法はないだろうか」
「1回のやり取りに50年かかるのを短縮するのは不可能だ。しかし1回のやり取りに情報量の制限はない。1回のやり取りで80億人全員の近況についての情報交換は可能だ」
「情報量の点はそうだが、単純な情報交換でなく対話型の通信の工夫はできないか」
「対話型とはAがBに質問し、その返事の内容によって次の質問をするという方法か。もしそうなら直並列通信を利用できないか」
「直並列通信とはどのようなものか」
「イエス、ノーで答えられるように相手に質問し、イエスだった場合とノーだった場合についてさらに質問する、次々と先手を読んで会話する方式だ。巨大なコンピュータを使って処理すれば毎日一度ずつ50年継続して会話する量と同じぐらいの会話を、50年に一度の会話で行う事ができるかもしれない。コンピュータの能力とアルゴリズム次第だが」
巨大な能力のコンピュータの開発が始まった。10の300乗バイトの超高速メモリーを備えたものであり、1度に1千万回の繰り返し会話能力のある、全人類の脳細胞の総数とは全く比較にならない容量の直並列通信用コンピュータが開発された。これを双方で使用する事によりに、25光年離れた2つの星の情報交換をかなりスムースに行う事が可能となる。
移住先開拓プロジェクトは、搭載するものについて次のように決め、その他の内容に関しては、その太陽系に到着した後の状況により決める事とした。
- 脳部品については100万人分、バッテリー部品については1万人分搭載する。
- 移住地に到着したら、宇宙船の内装をカーボン材料として取りだし、カーボン変成機により仮基地を設営するための部材と1万人の人体とを製造する。
- 80億人の記憶データの中から、状況に応じた人選を行い、1万人を目覚めさせる。
- 資源を採掘し最終的に80億人全員を目覚めさせる。
移住先での人の交流についても検討した。
「第3太陽系と第4太陽系との人の交流についてはどうするのか?」
「移動するには25年間電波の状態で過ごす事になる。これまでの最大の移動は第2地球と第2衛星との間の移動であり、移動時間は数秒だった。25年間電波の状態で過ごすのは考えられない。その間に何か起こりデータが損傷すると、たとえ移動できたとしても発狂してしまうだろう。あまりにもリスクが大きい」
結局、人の交流は行わない事とした。
旅立ちに先立ち、第2太陽系に残される200億体余りの人体の処理について議論が行われた。
「我々が去った後には200億体の人体が残る。無論記憶はすべて消去するが、どのようにするべきか。装置としての人体は予め何らかの処分ができるが、特に我々が直前まで使用する人体は処分する時間がない」
「処分とは具体的にはどのようにするのか。記憶の無い人体は完全に物で、建築物と同じだ。出発時に建築物を解体処理することはありえないので人体の解体処理もあり得ない。せいぜい建物の中に整頓して置いておけばよい。問題は脳のソフトだ」
「無論自我を無くすことが必要だが、根幹部のソフトを残したままだと微小生物などに悪用される恐れがある。我々は別の太陽系に移住するのでたとえ悪用されたとしても実害はないが、我々が使用していた人体が何か悪事に使用されるのは防ぎたい」
「微小生物に使用されないようにするためには脳データを全てクリアすれば問題ない。全てのメモリーをクリアしたらデータをインストールすることもできない。我々が今使用している人体も含め、全ての人体に特殊音をトリガーにしてクリアするソフトを積んでおこう。最後の50人が宇宙船に乗り込んだら各天体に特殊音の電磁波を発信しよう」
「具体的なクリアソフトはどのようなソフトか?」
「特殊音を聞いたら、先ず整頓プログラムの部分が起動し、指定した建物内部に入り整頓する。その後しばらくしてクリアプログラムが起動し、全てのメモリーをクリアすればよい」
このような計画の下、宇宙船や必要な部材や装置が製造され、移住への旅立ちの日を迎えた。
第1船団の5つの宇宙船に300人が乗り込んだ。先ず旗艦が宇宙に放出された。原爆ロケットを10基取り付けたため、コイルバネの圧縮は半分に抑えられ、緩やかに放出され、機材へのダメージは全く無かった。輸送艦も次々と宇宙に放出された。
間を置かずして第2船団の旗艦と輸送艦も宇宙に放出され、宇宙船基地で作業に当たった活動隊員も第2船団に用意された人体に乗り込み、2つの船団はそれぞれの目的地に向かって旅立った。
第2船団の艦長が特殊音スイッチを押し、各天体の隅々まで特殊音の強力な電磁波が発信され、全人体が動き出し建物内で整頓した。
2つの船団の旅立ち