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知識と理解の違い

 人によって、なぜ情報の性質が変化するかといえば、人は情報を元に思考しているわけではなく、情報を理解してから、その理解を元に思考しているからです。情報を知っていることと、理解していることは全く別のことなのです。
 情報というのは知っているだけ、認識しただけでは思考に活用することができません。それを、自分なりに理解しなければなりません。理解とは、文字通り「理によって解る」ことをいいます。そして土台となる情報がそうであるように、思考も同様で理にかなっていることによって、初めて実をともなったものになります。
 理解をもっともシンプルな言葉に置き換えると「分かる」という日本語になります。他にも同様の意味を持つ「理解」「分類」「分析」「判断」などの言葉からも分かるように、情報というものは混沌としており、それを分けたり、解いたり、断ったりすることで、個人それぞれが情報の意味や価値ごとにテーマ分けして思考の土台としています。これを人は意識的に行う場合もありますが、いつもそうしていては疲れてしまいますので多くの場合は無意識に行っていたり、「そういうものか」と態度を保留したりしていることが多いのではないかと思います。
この保留している部分や無意識の理解の部分に、世間の風潮や個人の思い込みが入り込む余地が生まれます。そして、情報を理にかなった解り方ではなく、なんとなくの分かり方をしてしまうことになるというわけです。この場合、たとえ有意義な情報を知っていても思考にうまく活用することができないことがあります。
 たとえば空調服発明における思考実験では、この土台の部分は、「液体は気化するときに熱を奪う」という知識だったり、「人は暑いと汗をかく」というような情報だったりしました。ただ、私が思考実験を行った当初は、それらのことを知識として知っていても上手に活用することはできていませんでした。気化熱の仕組みについては利用価値があることはわかっていましたが、人がなぜ汗をかくのかについての理解が不充分で、気化熱の仕組みという知識と結びつけて分類できていなかったということでしょう。うちわで扇げば涼しくなること、扇風機に当たれば涼しくなることを知っているにも関わらず、汗をかくことを有益な情報だと分類、判断できていなかったわけです。
 ただ、人はその理解や判断を変えることができます。それを「気づき」と呼んだりします。そして、気づきは、内的な変化や外的な刺激を「きっかけ」として、新たな理解の方法を教えてくれるのです。

『空調服™を生み出した市ヶ谷弘司の思考実験』より

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