最近、休日に街に出かけると、「随分と人が多くなったなぁ」と思います。そして、「ようやく日常が戻ってきたのだな」という気持ちになりました。きっと、似たような感覚を覚えた方も多いでしょう。
今から4年前、コロナウィルスが世界的に流行し、その影響は私たちの生活に大きな影響と変化をもたらしました。コロナ感染して亡くなられた方、今も後遺症に悩む方、経済活動の低迷によって酷い影響を受けた方など、概ね、悪いこと、嫌なことが多くありました。私自身もコロナに感染しましたし、コロナ禍は日常がいままでと全く違ったものになりました。
一方で、怪我の功名といえるようなこともあった、そんな総括をされている人もいるかもしれません。ワークスタイルの改革やデジタル化の推進、時代に合わせた技術革新、新たな分野への興味、視点の獲得といったものです。コロナの流行という大きなきっかけがなければ、ワークスタイルの改革やデジタル化の推進などはここまで急速に進まなかったようにも思えます。
このような流れは、言い換えるならば「物質社会からの脱出」の動きともいえます。私はかつてから繰り返しいろいろな場所で述べていますが、今後の人類がどのように発展していくかを考えるにあたって、「脱物質化」というのは大きな必然性を持った流れになっていると考えています。
人類の脱物質化と情報技術の発展を確認していけば、それは明白です。
たとえば世界初の原子力空母『エンタープライズ』は1960年に就役し、2012年の退役まで、実に半世紀以上、ほとんど就役当時の形のまま運用されてきましたが、この間、電話の場合はどのようだったでしょうか。
1960年の電話はダイヤル式の時代であり、プッシュホンが米国で初めて販売されたのが1962年(日本では1969年)。携帯電話の登場はそれからおよそ20年後の1983年。日本では1985年にNTTより重さ3kgのショルダーフォンが発売されました。重さ1kgを切る、900グラムの携帯電話はその2年後の1987年になります。
1990年代に第2世代移動通信システム(2G)のサービスが始まり、通信方式がアナログからデジタルへと移行しました。ポケベルなどからシフトし、携帯電話が一般に広まるようになったのもこの頃です。その後、2001年に世界に先駆け、日本で第3世代(3G) の商用サービスが始まります。テレビ電話が可能となり、インターネットに接続して高速なデータ通信が行えるようにもなりました。
そして、2007年に『iPhone』が販売され、本格的なスマートフォン時代になっていきました。エンタープライズが退役した2012年の翌年、2013年時点では世界における携帯電話の普及率は94.4%に達しています。
原子力空母がほとんど形を変えずに運用されていた50年間に、電話はダイヤル式固定電話からスマホへと大進化し世界中に普及しました。原子力空母と携帯電話の技術進展における違いは何によるものか、考えてみれば答えは明確です。
これを「需要の違い」と考える方もいると思いますが、それは間違いです。原子力空母を1万隻受注したら、確かにコストは大幅に下がるでしょうが、技術的にはほとんど変わらないでしょう。原子力空母は、目的を考えれば大きくて頑丈なことが必要になります。一方で電話は情報を扱う道具であり、情報には本来大きさや重さはほとんど必要ありませんので、脱物質化しやすいものだからです。
もともと脱物質化しやすい情報技術は、微細加工技術や情報化技術があいまって脱物質化が加速しました。そして、この脱物質化により技術の加速が連鎖し、情報技術が進展していく中で連鎖爆発が起こるような状態になっていったのです。その代表的なものが、スマートフォンやネット通信、ビッグデータ、AI、遺伝子操作技術(遺伝子操作も遺伝子という情報を扱う技術)です。
そして、このような連鎖反応は今も続いています。そのため現在、脱物質化が急速に進んでいる技術は、これからも脱物質化を加速してゆくと考えられるわけです。
また反対に脱物質化しにくい技術の中には、今後ほとんど進展が望めない飽和技術もあります。ここでいう飽和技術というのは理論的に上限が決まり、現状でも上限に近い技術のことを指します。
発電を例にして飽和技術について考えてみると次のように整理できます。
- 水力発電 効率はすでに80%程度までに達しており、伸び代はほとんどない。
- 火力発電 効率は40%程度に達しており、伸び代は非常に小さい。
- 風力発電 理論的な伸び代はあるが、自然が相手なので制御が難しい。
- ソーラー発電 35%程度であるが、効率を倍にするのは技術的に困難が大きい。
- 原子力発電 安全性の問題を除外すれば、伸び代はそれなりに大きい。
このように、ほとんど進展しない技術と今後もほとんど限りなく進展する技術があります。そして、その進展速度の差は今後も際限なく広がっていくことになります。
しかしながら、どんなにこの「物質社会からの脱出」が必然的な流れになっても、コロナ禍が一段落した今、人は街に繰り出しています。そこには、まるで旧友と久しぶりに再会したかのように、物質社会を懐かしがるように楽しそうにしている人々がいたように私には思えました。
今後、脱物質化は間違いなく進んでいくのですが、それでも人は物質のぬくもりを求めるのかもしれません。