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SFB人類の継続的繁栄 第8章『第3世代人類の新たな一歩』3

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

記憶ドラッグ

 「先生、兄貴の意識が戻らないんだ。バッテリーも100%だし、身体の損傷もねぇのに……」
 派手なシャツをだらしなく着た、ひと目でアウトローだとわかる者が、おそらく患者であろう者を背負って診療所の扉を開けると、叫ぶようにそういった。
 新見は、ぐったりした様子の患者をみると、ひと目で「記憶ドラッグ中毒か……」と予測をつけたが、それを口には出さずに診察台へ患者を寝かせるように無言で促す。
 記憶ドラッグとは、一般記憶を受信するために身体に内蔵されている小型受信機を通じてトリップするという代物である。人類が共有する一般記憶には、いわゆる真っ当なメモリーしか記憶されていない。一方で、個人としては楽しい、面白い、気持ちいい、不思議な、珍しいといった非日常体験、刺激的な記憶を共有したいというニーズがあった。
 新見が誕生する以前には、個人が楽しむための記憶コンテンツは特に規制もなく多様な記憶が市井に溢れていたという。しかし新見が誕生する少し前、一般記憶へのアップロード規制が強まった頃から、政府によってこのような個人用の記憶コンテンツにも規制がかかった。政府の見解は「個人用記憶コンテンツは、重大な疾患を起こす恐れがある」というもので、政府の基準をクリアしていない記憶コンテンツの流通は禁止されたのである。
この個人用の記憶コンテンツ規制は、取り締まりが開始された当初、世論から「規制が厳しすぎる」「今までよかったものが、なぜ突然」と大きな批判があった。しかし、実際に記憶コンテンツを使ったユーザーの中に、異常がみられる者が次々と現れると、そのような批判は嘘のようになくなった。そして、その原因についてさまざまな憶測が語られるようになった。
 様々な説が唱えられたが、一番有力とされたのは「記憶コンテンツに何者かによってウィルス、マルウェアが混入されている」というものである。実際、そのようなウィルスがあるという証拠はなかったが、政府もその可能性もあると発表していた。一般記憶への制限が開始された時期とも重なっており、「一般記憶への制限は、未知のウィルスが一般記憶への混入を避けるためだった」という憶測とも相まって、信ぴょう性の高い説となっていった。
 ただし、それでも未許可の記憶コンテンツへのニーズは一部では根強くある。決められた基準をクリアしていない、不正規の記憶コンテンツが裏社会で流通し始めた。これらは当然、取締りの対象となり、いつしか“記憶ドラッグ”と呼ばれるようになったのである。
 記憶ドラッグのいわゆる中毒症状は、ヘビーユーザーだから症状が出るというものではなく、症状が出る者に個人差があるというのが特徴だ。いうなれば「合う、合わない」の相性によって症状がでる。症状は主に一般記憶との通信変調に起因した記憶障害が起こるというものだった。軽症ならば一度スリープするだけで直ったりするが、症状が重い場合はスリープ後にも記憶障害が残り、一般記憶との通信がうまくできなくなる症状が残り続ける。この症状の場合、体内の小型通信機に障害がでていることがほとんどで、その交換や初期化が単純な治療法ということになるが、当然ながら違法の記憶ドラッグを使ったことが分かれば患者には罰則が待ち受けている。
 このような状況もあり、新見の診療所には記憶ドラッグ中毒の患者が訪れることも少なくなかった。小型通信機の交換は正規の医師しか行えない医療行為であったが、新見は小型通信機を交換しなくても障害箇所を特定し、整備することで治療することができたし、小型通信機に内蔵されたソフトの初期化ならば簡単なことだった。新見にとって記憶ドラッグ中毒患者は、簡単な治療で口止め料含む高額の治療費を請求できる、いい患者だった。
 ただ、多くの記憶ドラッグ中毒患者を診てきた新見でも、ここまで重い症状の患者は診たこともはなかった。

記憶ドラッグ中毒患者の体内

 「それで、本日はどうしました」
 診療室に腰掛けると、新見は少しぶっきらぼうにそんな決まり文句を付き添いに投げかける。
 「どうもこうもねえよ。見たまんまだ、大丈夫だよな。兄貴、目さますよな!」
 付添いの舎弟は半ばパニックになった様子だったが、現在の人類にはいくらパニックになったとしても、最低限は一般記憶を共有しているため、ここまで人格的に未成熟になる者はいない。「こいつもドラッグ中毒が抜けてないな……」と新見は一瞬で気づいたが、藪蛇になることが目に見えていたので当然、それを口にはしなかった。
 「まあ、(身体を)開けてみないことにはわからないですね。ただ、ここまで症状が酷いのは珍しい。治すにしても結構かかると思います。いろいろと。用意できますか」
 新見は付添の舎弟らしきアウトローをまっすぐ見据え、続けて具体的な条件を提示した。ここでゴネるようであればすぐにほっぽり出そうと思っていたが、付添いの舎弟は「必ずなんとかする」と言い残すと、わずかな頭金を置いてすぐに診療所から出ていった。恐らく金策にいったのだろうが、期待できるかはわからなかった。
 新見は、基本的には全額前払いでしか治療を行わない。つまり、あの舎弟が戻ってくるまでは治療をはじめないのが通常営業だ。ただ、今回は違った。いつもの記憶ドラッグ中毒の症状よりも重度な、見たこともないこの症状に少し興味が湧いた。つまり“気まぐれに”診てやってもいいかと思ったのである。
 診察台に寝ている患者は、どうやら自動でスリープになっているようだ。
 「回復のために自動で睡眠状態に入っているのか……」
 新見はそんな仮説を巡らせながら、患者の体内を開ける準備に取り掛かる。
 まずは診療室に組み上げた簡易クリーンルームに患者を運ぶと、自らの身体も洗浄する。体内に微細な塵などの異物をできるだけ混入させないためである。それから、現状スリープしている患者の電源を常時スリープ状態にしておくために外部コンソールと接続する。ほとんど考えられない話だが、術中に患者が突然目を覚ましては困るので、その対策である。完全に電源を切ってしまえば話が早いのだが、彼らにとって臓器ともいえる、それぞれの機能を動かしたままでなければ、内部の正確な状態確認は行えない。
 いよいよ手術が始まる。とはいえ、この症状を発生させている原因が不明なため、患部の特定からはじめなければならない。
バッテリーは異常なし。充電も完了していたし、スリープ動作には異常がみられなかったため、これはある程度予想されていた。一方、一般記憶との通信機能を内蔵した小型通信機は、簡易的なチェックでもわかるほど明らかな動作不良が見られた。記憶ドラッグ中毒の典型的な症状だ。
 新見は、記憶ドラッグを使って一部の特定の者に症状が発生する原因は、通常は一般記憶が経由する回路に他の記憶が混じり込むことによる拒否反応のようなものだという仮説を立てていた。その拒否反応は自らの体内にある小型通信機内のソフトが自己防衛的に動作しているか、あるいは単に誤作動しているというものだ。あるはずのない記憶によって起こったエラーに対して、免疫作用が過剰反応しているといったところである。
 この説は誰にも話したことはなかったが、同じような説を唱えている研究者も実際にいた。ただし、新見はそんな研究がされていることも知らなかった。医療現場で実際に診察する中で、「なんとなく、そういうものだろう」という考えが自然に固まってきただけである。
 普段ならば小型通信機の不具合を発見し、それを修復すれば治療は完了だった。しかしながら、今回は患者の意識が戻らないという初めて見る症状が出ている。新見は「これは俺の手に負えないか」と内心、すでに半ば諦観していた。
 「ダメ元でどこがエラーを発信しているかも調べてみるか」
 新見は、そうつぶやいて小型通信機からいくつも伸びた配線を1本ずつ抜き取っては、もとに戻す。抜いたときにエラーがなくなれば、その原因特定につながるということだ。やり方は完全にアナログだったが、わかりやすい方法だった。
 すると、何本目かの配線を抜いたところで反応があった。そして、その配線をたぐっていくと、予想外の部分につながっていた。

禁断の箱「シールドメモリー」

 個人記憶の中枢であるシールドメモリーは、脳の中枢と同等に重要な部位だけあって、その耐久性は非常に優れたものがある。この部分は、基本的に本人の脳を通じてしかアクセスできない。それ以外の方法で干渉しようとすると、自我崩壊を起こして最悪、個人の死に至る。そして、今回エラーの原因と思わしき配線は、このシールドメモリーにつながっていた。すなわちシールドメモリー側から、小型通信機側にアクセスするための配線であることがわかった。

――シールドメモリーが、拒否反応の発信源なのか?

 これまでの新見の考えでは、拒否反応は脳中枢が起こしているものだというものだった。しかし、この症例を見る限り、シールドメモリーに何かしらの原因があるのは明らかだった。新見は、これまで患者のシールドメモリーには手をつけたことがない。脳中枢と並んで個人そのものの部位であること。加えて、その頑強さ故に不良があること事態がほぼありえなかったからである。
 新見は、本来ならば医療に携わる者に当たり前に備わっている倫理観など持ち合わせていなかったが、面白半分、興味本位で人を発狂させる可能性がある箇所に手を付けようとも思わなかった。
 しかしながら、今回はシールドメモリーを診たいと思った。これまでどれだけ記憶ドラッグ中毒患者を診察したかはわからないが、こんな症例は初めてだったし、その原因がわかるかもしれない。その可能性がシールドメモリーの内部にあるかもしれない。そんな強い気持ちにかられたのである。
 シールドメモリーへの干渉は、現行法では政府に認定されたごく限られた医師にだけ許された行為である。それ以外の者が、他者のシールドメモリーに干渉することは、殺人罪と同等の厳罰が待っている。

――法律が何だというのだ。これは多くの記憶ドラッグ中毒患者を救うためなのだ。

 新見は、そんな建前で自らの好奇心を塗り替えようとしていた。

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