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SFB人類の継続的繁栄 第8章『第3世代人類の新たな一歩』2

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

井上の野望

政府トップの極秘会議における最終評議の結果は、一般記憶の制限とステータス方式の導入を認めるものだった。
最終答弁において上田は再度、社会混乱の可能性と人権的な側面からの危惧を伝えたが、なにか混乱があった場合、速やかな政策見直しと最終的な責任を井上が全て負うことを約束したことによって、満場一致で議決されたのである。井上はリスクを負うことで主張を通し、上田は補償の確約を得たことで譲った形だ。
井上はこの政策に賭けていた。先の通信障害パニック事件において第3世代人類が目覚めて以来、サブリーダーとして肩を並べていた上田が国民的人気を獲得した。井上本人も上田の行動に救われた形になるし、政府トップの阿部もそうだった。
名言はしていないが阿部はあの事件以来、リーダーとして皆を引っ張るというよりも、まとめ役に回ることが多くなった。第3世代の人類が目覚めてから100年、リーダーとして現人類を率いてきたが、そろそろ引退を考えている節がある。そして、このままいけばその後任は人類的人気がある上田になることは確実だった。ただし、この政策を成功させれば井上にとって大逆転ともいえるポイントを得ることができる。そして井上には勝算があった。
この政策の趣旨は大きく3つに分けられる。
1つ目は、一般記憶へのアクセス制限のうち、いわゆるアップロード規制である。現状、近いうちに容量が限界を迎えることは周知の事実であるし、世論もその必要性を支持している者が多数だった。上田もこの点は反対していない。
2つ目は、同じく一般記憶へのアクセス制限における、アクセス規制である。主に社会に混乱を招く可能性のある危険技術についての記憶の一般非公開化だ。これは完全に秘密裏に実行される。
一般記憶のそのほとんどは、意味記憶の分類されるような概念や知識である。その場合、日常的に思い出されていない記憶は、ほぼ覚えていない状態とかわらない。適切な検索ワードがなければそれを調べられないのと同じだ。専門家でもなければ思い出さない記憶にアクセスできなくなったとしても、それに気づく者はいないはずである。
もちろん、そのジャンルの専門家の場合、エピソード記憶として個人記憶にも関連して覚えているはずである。そんな専門分野に携わる者には公開されるが、彼らはそのほぼすべてが政府と紐付いているし、たとえそこに漏れがあっても政府管理下に置く準備はできていた。
3つ目が、ステータス方式の導入である。これにより個人の適性と一般記憶へのアクセス制限を階級という形で管理する。これは公表すれば政府が転覆する可能性もあるため、最重要機密として極秘裏にすすめられる。
このステータス方式における最大のメリットは、一般記憶の管理というよりも、社会構造の改革にあった。人口が100万人に達した人類において、その社会を維持するための労働力バランスに問題が生じていた。現状、100万人の能力というものは、一般記憶の恩恵により大きな違いはない。
もちろん、個人に記憶された経験値の違いによって個人差がある。阿部が今も人類の指導者として認められ、先の通信障害パニックにおいて上田がリーダーシップを取れたのも、この経験に起因する部分が大きいだろう。
ただし、一般記憶に平等にアクセスできることによって基本的な能力は変わらない。個人の能力差がないのに、社会的な役割に大きな違いがあると、そこに当然ながら不満が出てくる。第3世代の人類が目覚めたばかりの頃は、全人類の目的が「人類存続」という意思統一ができていた。また、その後誕生した人類も、最初の26名を基本として生み出された者たちであり、目的意識をしっかり共有できていたのである。
しかしながら、都市の発見とその後の発掘に伴って、人類人口は大幅に増加した。また仕事内容に応じて各部門が整理され、明確な職種が生まれた。それを管理統率する政府も誕生した。都市の整備によって、居住空間も変化し、サービス業やエンターテインメント業など職業も多様化した。こうなってくると「我々は政府の奴隷ではない」と、職業選択の自由を求める声が大きくなってくるのは当然である。
100万人にまで増加し、個性も多様化した人類の中には政府の方針に納得しない人々も増えた。仕事をボイコットするくらいならまだ良い方で、一部の人々は反政府組織を結成、また小規模ながらいわゆる闇社会も形成されている。特に闇社会への対応は、世論も必要との意見が大勢だ。
政府の計画を遂行していくためには、職種ごとの人口バランスが重要であった。やりたい職種にばかり人が偏ると、基本的に必要な労働力が足りなくなる。ステータス方式の導入は個人に向き不向きを作り出すことになり、事実上、職種における人口バランスの調整が可能となる。また反政府、反社会勢力の取締、職種差不満の解消といった問題をも結果的に解決する。
そして導入は決まった。あとは何事もなく実行に移せれば「人類の指導者の次の椅子に座るのは自分だ」と、井上は胸を熱くしていた。

神の所業、神のいたずら

  一般記憶の制限とステータス方式が導入されて10年が経った。一般記憶の制限は、表向きにはアップロードの規制強化だけということになっていたが、アクセス権限の規制も段階的に進められた。概ね混乱といえるものはなく、ここまでは推進派のシナリオ通りにいっていた。
 懸念されていたステータス方式も順調で、この10年で新たな人類は40万人弱ほど増えたが、人類社会における職種バランスが確実に改善されてきた。また、最重要機密であるステータス方式が導入された事実についても、公になることはなく懸念されていた混乱は起こらなかった。社会的な反応といえば、「最近の新人類はわからん」というような古株のよくある愚痴ともいえぬ感想くらいだろうか。
 そんな頃、これまで第3世代人類を牽引してきた指導者、阿部が引退を表明。盛大な式典が今や首都となった第2都市で開かれ、彼のこれまでの仕事を称えられた。そして、そのフィナーレには後継者として井上が指名された。
 井上は賭けに勝った。今後、彼は秘密裏であるが誕生する人類の才能だけでなく、一般記憶へ制限を通じ、この共同体の行く末までも実質コントロールする。その最高権限を持つ地位についに到達したのである。原初の人類が誕生し、最初の文明が興った頃には、その統治者は神と同等の力を持っていた。井上はまさにこれから誕生する人類にとっての神になろうとしていた。
だからといって、これで全てが終わったわけではない。今後、大きなトラブルが発生し、ステータス方式の全容が公にされるようなことがあれば、主導した井上はすぐさま失脚することになるだろう。いや、失脚するだけならばまだいい方だ。政府の信頼が失われ、これまで人類が作り上げてきた機構そのものが転覆しかねなかった。
 そのため、この極秘機密の取り扱いはこれ以上なく厳重なものだった。反対派であった上田も最終的には賛同した以上、これは同じである。この事実を知る政府関係者から万が一にも情報漏洩しないように、何重ものセキュリティがかけられている。対策は万全である。
 ただし真実というものは、いつ、どのような形で明らかになるかわからない。たとえ秘密が完全に守られようとも、人類社会の指向性を好きなように導こうとも、個人の思考と好奇心までをコントロールすることはできないからである。
 井上が現世の神になったのと時を同じくして、神のいたずらのような事態が水面下で蠢きつつあった。

スラムの医者

 ステータス方式の導入は、社会全体の職種バランス改善に確実に効果を上げていたが、一方でそこには副作用もあった。新たに誕生した人類は、これまでと比べてその能力を制限されることになった。ただし適正能力は万人に必ず付与されおり、その道に進めば社会に必要とされる人材として、いわゆる“人生の居場所”が確保されるはずであった。
 しかしながら、それをよしとしない人々もいた。たとえ適正がなくとも自分のやりたいことを貫く者、夢を諦めきれず追い求める者を押し止める法はない。しかし現実は非情なもので、彼らのほとんどは希望を叶えることなくいつしか社会に居場所を失っていく。そして、そんな彼らが行き着く場所は、その日暮らしの生活、あるいは闇社会とそれに準ずる界隈であった。
第二都市の一部地域には、そんな人々が集まるコミュニティが形成されつつあった。いわゆるスラムである。その片隅で診療所を開いている新見も、いわゆる夢破れた者の一人であった。
 彼にどんな夢があったのかは分からない。若者にありがちな少し大それたものだったのか、それとも些細な希望だったのか。それはともかく、彼に備わっていたステータスは医療技師、すなわち第3世代人類における医師の才能だった。
 新見は、元来、人と関わることが嫌いで、人を助ける仕事にもまったく興味がなかった。どちらかといえば自分がよければ、自分が面白いと思えばあとはどうでもいいというような気質である。流れ着いたこの場所で、たまたま手掛けた治療行為が上手くいった。そこで「どうやら自分には医師の才能があるらしい」と気づいたのである。ただ医師という仕事は生活のために仕方なく行っているだけであった。医師としての矜持のようなものも新見にはなかった。
 だからなのだろう、彼は普通の医者にかかることのできない、脛に傷を持つような闇社会の人間を患者にすることにも抵抗がなかった。自分にとって得であれば、それを行うのは彼にとって普通のことだからである。
 大概の患者は「腕が動かなくなった」とか「脚の部品を交換する」だとかといった、外傷のメンテナンスだった。新見には、その傷を見れば、どのようなことがあったのか大体予測できた。これも彼の医師の才能といえるのだろうが、他人に興味がないので余計な詮索をすることもなかった。そしてそんな新見は闇社会の住人にとっては大変重宝がられた。少々金はかかるが、口の固い、腕のいい医者。それが新見に対しての評価である。
 そして、この新見の診療所に、とある闇社会の人間が患者として運ばれてきたことをきっかけに、事態は動き出すのであった。

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