この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
第3世代人類の娯楽、快楽、生きる幸せⅡ
荒木との交友が藤森にとってかけがえのないものだったように、荒木にとってもそれは同じだった。活発で社交的な荒木に対して、引きこもり気味で皮肉屋の藤森。性格は正反対の2人だったが、こんなに気が合う他人がいるものかと疑ってしまうほど仲が良かった。なによりも、社会に受け入れられなかった彼らにとって、わかりあえる人物がいるということは、それだけで幸せなことであった。
また、荒木にとって藤森は恩人でもある。記憶ドラッグ中毒になってしまったときに頼ったのはやはり藤森だったし、治してくれたのも藤森だった。そして、今の政治家としての才能と地位を切り開いてくれたのも藤森である。
「僕たちが生きやすい社会にしてくれ。お前ならできる」
荒木が議員になるために活動をはじめた際も、藤森はそんな風に言って応援してくれた。議員になったときには誰よりも喜んでくれた。だから、藤森に「もう、ここには来るな」といわれたときには、耳を疑った。ただ、それが藤森の気遣いだということはすぐにわかった。荒木はそんなことは気にする必要はないと思ったが、「今後もエラーコードを集めるつもりだ。何かわかるかもしれないしな」という藤森の計画を聞かされると、そう言い出した藤森の気持ちも理解できた。
「お前は表舞台で、僕は裏でできることをする。新しい社会になれば、そのときはまた会おう」
そんな風にいわれて、荒木と藤森は別れた。それぞれが別の道で、自分たちのための新しい社会を作るために。
「まあ、そういうと思っていました」
上田に藤森の救助を断られた荒木だったが、これは想定の範囲内だった。ただ、これで引き下がるつもりは荒木にはもちろんない。
「要件は以上かな、それならば……」
「実はもう一つ、あります」
上田は席を立ちかけたが、荒木にすぐにそう告げられると、再び腰を掛ける。
「実は見てもらいたいものがありまして」
荒木は傍らに持っていたノートパソコンを開き、一つの動画ファイルを展開した。
「これはなんだ」
「例の記憶ドラッグ……、その続編を動画に出力したものです」
第3世代人類の娯楽、快楽、生きる幸せⅢ
荒野を一人、歩いている。その主観映像に、その人物の心の声がかぶさってくる。
――それにしても都市の外はこんなに暑かったのか。これだけ熱を持ってしまうと、ボディも持たないかもしれないな。
その声は、まぎれもなく新見のものだった。
――まあ、どうなろうが知ったこっちゃないけどな。
それから、地面に座り込んだ動画の主は何やら外部端末をいじりだす。
――電波はギリギリだが、これで今の俺の記憶は、自動で荒木議員の元に転送されるはずだ。巻き込んでしまうのは申し訳ないが、彼が議員になったのは間接的には俺のせいみたいだし、最後も付き合ってもらうことにするよ。悪いな。
「彼は何をしようとしているんだ」
動画の主がなにをしようとしているのか要領を得ない上田は、たまらず荒木にそう尋ねる。
「私はこの記憶を、動画ではなく“体験”しました。彼はこの時点で、一般記憶とつながっていません。補助メモリーもです。その接続を自ら断ったようです」
「なぜ、そんな馬鹿げたことをしたんだ」
第3世代の人類は一般記憶とのつながりを失い、一度滅びかけた。それを救ったのが上田である。その結果、第3世代の人類全員の身体の中に補助メモリーが設置されるようになった。
あのときは、あの緊急事態を解決するために必要な事柄をなんとか個人記憶に刻み込むことで乗り切ったが、それを自ら行うのはほとんど自殺行為に等しい。そう思ったときに、上田も新見がこれから何をしようとしているのか、その意図に気がついた。
荒木は話を続ける。
「人類共有の記憶を完全に断ち切り、独立した存在となった彼を支配している感情は、絶望、あるいは残された唯一の希望でした。人類存続という大義名分のもとに行われている行為への激しい憤り。人類存続という絶対的な価値観の否定。絶対に死なないという無限地獄からの脱出……。これは彼の遺言なんですよ」
一般記憶において共有されている記憶。その中で最重要の記憶とは何かと問われれば、それは惑星衝突から生き残った、最初の第3世代人類26名の最初の記憶であろう。生きる希望や、今後あるだろう苦難に打ち勝ち、人類再興に向けて自分たちがなんとかしなければならない。そんな使命感に満ち溢れた、前向きな明るい記憶だ。そんな記憶が皆にあるからこそ、今の人類はその繁栄に向けてまとまっていたし、どんなに辛いことがあっても立ち止まることなく進んでこられた。実際、第3世代人類の100年あまりの歴史において、その自殺者はゼロだったのである。
画面では、動画の主がスコップを使って、穴を掘っている様子が映されている。
――このあたりなら、雨が振れば水も貯まるだろう。
自分の身体がすっぽりと入るくらいの穴を掘り終えた動画の主は、そこに身体を横たえる。そして、自らの電源を切った。
「新見先生は死にました。第3世代人類で最初の自殺者ですね」
第3世代人類の娯楽、快楽、生きる幸せⅣ
動画を見終えた上田は、大きなショックを受けていた。新見の考え、そしてその行動は、今まで考えたことも、想像したこともなかったことだった。しかしながら、今になってこのように目の当たりにしてみると、こういうこともあるだろうと妙に納得していた。そして自分自身の驕りを、痛烈に指摘された。そんな気分だった。
そんな様子の上田を見て、荒木も少し同情する気持ちが芽生えたが、自業自得だとも思った。それに今はそれどころではない。
「私には、議員特権を使って、この記憶を一般記憶に公開する用意があります」
そう荒木が告げると、上田はその瞬間カッとなったが、それを態度に表すことはなかった。そして、事態の深刻さを改めて実感する。
「それはだめだ。それだけは、やめてくれ……」
このような絶望の記憶が人類に共有されることになれば、どのようなことになるかわからない。連日のように自殺者が出るか、暴動になるか。最悪、人類が滅びかねない。もちろん現政権など、瞬く間に瓦解するだろう。
「私も人類の繁栄を誓った議員です。それは本意ではありません」
これは、まぎれもなく荒木の本心だった。ただし、親友がすでに消されていたりした場合には、それも変わってくるかもしれなかった。
「藤森だったか、彼をこちらで確保したらどうする……」
「普通に、裁判でもなんでも、公にしてくれればいいですよ。あとは、その先のことは人類みんなで決めていくことになるのではないでしょうか」
これまで「自分たちが人類を背負っている」と気負いすぎていた上田は、荒木に新たな指導者のあり方を示された気がした。また、そんな荒木も彼の即断に、これまで人類を引っ張ってきた一人である“英雄”の懐の深さ、そしてその使命の重みを感じていた。
こうして、上田と荒木の密約は成立した。
公演はちょうどフィナーレで、劇場内は観客の拍手と喝采で湧いていた。
先に席を立った上田は、別れ際に「次の大統領選挙には俺が出る」と荒木に告げた。対立候補への宣戦布告である。そんな上田の背中を見送りながら、手強すぎるライバルの突然の登場に、荒木は内心「……マジか」と本気で参っていた。
しかし、荒木も目的は達成した。落とし所としてはこんなものだろうとも思った。あとは藤森が無事でいてくれることを祈るばかりだ。
そして、藤森の身柄を政府が抑えたという情報を密かに提供してくれた、スラムの警察署のとある刑事に心から感謝した。