この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
終局へ
会談の三日後、予定通り引き渡しが行われた。司法局の職員が藤森の状態を確認、それと同時に人類安全調査室の職員が外部記憶メディアの中身を確認する。
人類安全調査室では、藤森の聴取がすべて完了し、ステータス方式につながる情報、それを記録した外部媒体の所在、荒木議員の過去といった、欲しかったあらゆる情報を聞き出していた。
また、それに基づいて証拠となるような物はすべて回収済み。藤森が何を話そうが、「社会不適合者の狂言」で済ませる算段がついていた。あとは、新見の身柄を抑えて、社会に混乱を引き起こした者として断罪すれば、一件落着というシナリオになっている。しかしながら、新見の所在を示すという記憶には、想定外の情報が含まれていたのであった。
「なに、新見は死んでいただと……」
執務室で報告を受けていた井上は、その予想外の展開に困惑していた。
「はい。例の記憶メディアに収められた情報を頼りに現地に向かったところ、電源が入っていない状態の新見が発見されました。現在、医療チームにその身柄をチェックさせておりますが、体内の小型通信機及び、補助メモリーが外されていたとのことです」
「だから、これまで痕跡をたどれなかったというわけか」
「また、シールドメモリーのシールドにも手が加えられていたとのことです。そのため、屋外で野ざらし状態だった新見の体内に雨水が入り込み、個人記憶及び脳にもダメージがでているようです。現状では洗浄しても回復はほぼ不可能との見込みです」
井上には、この状況がまだ理解できなかった。新見が死んでいた。それはまだいい。報告の様子だと、誰かが新見の身体に手を加えていた。誰が新見を殺したのか。荒木か。上田か。それとも別の誰かなのか。その思惑が井上にはまったくつかめない。
「誰が、新見を殺したんだ」
井上の問いに、人類安全調査室室長は明確に答える。
「新見は、自殺です」
唖然とした。そんな報告は井上にはとても信じられなかった。第3世代人類が誕生してこれまで、死者こそわずかにいたが、その全てが事故死だ。自殺した者など皆無だったのである。自殺者がいないことは、ある意味で政権が支持され続けていた最大の理由だったといえるかもしれない。
「ふざけるな、ちゃんと調べ直せ!」
信じられない、いや、信じたくない報告をされた井上は、室長を怒鳴りつけるが、理不尽な八つ当たりに室長も黙っていなかった。
「実際に彼の記憶を“体験”してみればわかります。そんなに信じられないのであれば、ご自身でも体験してみてはどうでしょうか」
腹心である室長が、このような口の利き方をしたことに井上は驚いた。政府組織に従順で、私情を挟まない人物である。だからこそ、この職を任せたのだ。そんな彼が、どこか新見に同情するかのような様子を見せたことに、なんともいえない憤懣の念が心に充満していく。
――これを使えば、お前にも少しは分かるだろうさ。
そして先日、上田と同じことを彼がいったのも、全くもって気に入らなかった。
「そんなにいうならば、覗いてやる。……ここへ持ってこい」
この反応は、室長には意外だった。井上は記憶コンテンツを毛嫌いし、その一方で現実的な体験を好む人物だ。そのため劇場の整備や、絵や写真、映画といった映像、アナログな文学といった旧世代の芸術や娯楽コンテンツの復興に尽力し、その成果は一定の評価を得ていた。そんな井上が、非合法の記憶コンテンツである記憶ドラッグを自ら使うといい出したのである。しかし、室長はその命令にすぐには従わなかった。
「報告はまだあります。ご自分でお試しになるのは、それを聞いてから決めてください」
室長の言い回しに、少しもったいぶるようなニュアンスを感じ取り、さらに苛立ちを増加させた井上だったが、「続けろ」と一言だけ答える。
「はい。実は、あの記憶ドラッグを確認した私どもの職員が、かなりショックを受けたようでして……、衝動的にこのビルから飛び降り自殺を図りました」
この報告に、井上は驚きを隠せなかった。
「なんだそれは、何を見ればそんな行動に出るんだ……」
「なんともいえません。ただ、あの記憶は危険です。あれが、もし世間に広まればこれまでの秩序は維持できなくなるものと愚考します」
そんなことは当たり前だ。人が自殺したくなるような、自殺を誘発するような記憶ドラッグの蔓延。それは、社会を大混乱に陥れるだろう。
――少なくとも荒木が自暴自棄になって、とんでもないことを仕出かすのは俺が責任を持って抑えよう。
上田がいっていた“とんでもないこと”とは、このことか。そのとき、ようやく井上にも上田の意図が理解できた。この記憶のオリジナル。それは、すでに荒木が所持していることが報告されている。つまり、荒木はいつでもこの記憶ドラッグを拡散することができるというわけだ。
「それを、食い止めるために、上田は藤森の身柄を交渉材料としたということか……」
その記憶ドラッグが蔓延すれば、当然ながら政権は持たない。一方で、ステータス方式の真相についてこれ以上野党の要求を突っぱねることは、このリスクがある以上は難しい。
――もはや、打てる手はない……か……。
このときになって井上はようやく、この勝負から自分はすでに脱落していることに気づいた。そして、自らの敗北を受け入れるしかなかった。
幕引きを告げる裁判
その日、第2都市のとある地方裁判所には、大勢のマスメディアが押し寄せた。傍聴を望む民衆(その多くがスラムの住人)が列をなし、その様子を一目見ようと人々が押し寄せ溢れかえっていた。今や、世間で最大の関心事ともいっていい、ある裁判の最終審理が本日行われるからである。
当初、その裁判自体は、人々の関心を引くようなものではなかった。よくある事件で、傷害と誘拐の罪で起訴された被告の刑事裁判でということである。しかしながら、その裁判の裁判長を最高裁判所長官、上田が行うという異例の人事が発表されたことによって、まず注目が集まったのである。
マスメディアが、こぞって人類の英雄が、わざわざこのような地方裁判所まで出張ってくるのかを探ったところ、その被告人についての真実とも噂ともわからぬ報道が相次いだ。それらの報道で一致していたのは、被告人の名前が藤森といい、彼が記憶ドラッグの治療薬を作り出した。あるいは作ろうとしたという点だけである。
あるメディアは「治療薬を完成させるために人体実験を繰り返していた」と報じ、また別のメディアは「治療薬はすでに完成していて、彼はスラムでその救済を無償で行っていた」と報じた。そして、「その治験者第一号は、あの荒木議員か!?」という報道に、荒木議員本人がそれを公に認めたことで、さらに注目が集まった。
「私は彼に助けてもらったと思っています。彼のおかげで今の自分がある。私自身は彼が行った治療行為が違法とは感じておりませんし、個人的には彼が治療した他の者も証人として裁判に召喚すべきだと思います」
第一回公判にて、荒木議員がそう証言したことにより、すぐに終わるかと思われた裁判は、その後も続くことになった。また、これに伴って荒木議員が自伝手記を発表する。近くに迫る大統領選挙に備えたものだろうといわれたが、その内容は、自らがドロップアウトした経緯、それからスラムで体験したこと、そこで被告である藤森と結んだ絆、人類がこれから目指すべき社会などについて語ったもので、これが大ベストセラーになる。この手記はメディアでも紹介され、藤森への同情が集まり、2人の友情や議員当選以前の荒木議員が苦労したエピソードなども注目を集めることとなる。
第二回公判では、他の治験者が証人に呼ばれたほか、その治療方法の詳しい説明が被告からなされた。そこで語られた事柄「ステータス」の存在は、さらに世間を揺るがすことになった。これは過去に荒木議員が議会でも取り上げたもので、大流行した記憶ドラッグ「ある医療技師の記憶」が指し示していたことを裏付けるものだった。
これまで政府はその記憶は加工されたものであり、ステータスなど存在しないと公的な見解を示していた。それに対して野党は「疑念は払拭されていない」と追求を続けていたが、世の中には情報が溢れており最近は一時期のように騒がれなくなっていた。この裁判における被告の証言は、世の薄れていた「ステータス問題」への関心を引き戻すものであり、政府の公式見解に再度疑惑を突きつけるものとなった。
この真偽を確かめるためにも、裁判では従来から注目を集めていた人物、「例の記憶ドラッグのオリジナル記憶の持ち主を、証人として召喚すべき」との提案がなされた。これまでも民間レベルではその特定が試みられていたが、ハッキリした成果はでていなかった。それが公的に初めてに試みられることが決まると、第三回公判への注目はさらに集まった。
しかし、彼を証人として招くことは叶わなかった。第三回公判が行われるちょうど1週間前、例の医療技師が死亡していたことが、一斉にニュースで流されたのである。第3世代人類にとって、人の死亡報道は数年に1度ほどしかさない大ニュースである。否が応でも注目された。
当局の発表によると、死亡した医療技師は第二都市から25kmほど離れた荒野で意識のない状態で発見されたという。回復のためにあらゆる治療が行われたが、体内メモリー及び脳への被害が大きく、回復は望めないとのことで死亡認定された。警察では事件と事故、両方の線で捜査をすすめているとのことであった。
この発表にメディアは取材を踏まえて、さまざまな仮説を展開したが、どれも「どのような状況で事故にあったか」あるいは、「どのような事件に巻き込まれたか」といった憶測混じりのものだった。しかし、コメントを求められた荒木議員が「私は、自殺だと思う」と発言したのを契機に、その真実が明らかになる。
荒木議員のコメントが出た当初は、「そんなはずがない」、「荒木議員も底が見えた」などと否定的な反応ばかりだったが、その直後に当局が「遺書に類するものも残されており、自殺の可能性が高い」と発表するとその評価は逆転する。結果、与野党の支持率は逆転こそありえなかったが、さらに接近する事態となった。
世間の注目を集めた第三回公判は、波乱の幕開けで始まった。まず、被告弁護人が新見の遺書を証拠品として提供するよう申請すると、これを裁判長である上田自らが「個人の名誉のため」とその要求を拒否。それに納得のいかない弁護人、それに遺言内容を知りたかった傍聴席が騒ぎ立て、裁判は即時閉廷となった。ただし裁判に証人の一人として出廷していた荒木議員は、この争乱に参加することはなく、後に「裁判長の判断は妥当だったと思う」とのコメントを残していた。
そして、次回公判をもって最終審理とすることが決まったのである。