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SFB人類の継続的繁栄 第11章『死への恐怖と活力』

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

キャラバン隊での移民

 新1号都市への第1回移民計画が決定し、2万人の移民と大型火力発電機等の輸送方法が検討された。第2都市と新1号都市の間には道路が無く、トラックを使用することはできない。そのため移動にはキャラバン隊を組み、道を切り開きながら移動しなくてはならなかった。
 高精度望遠鏡を使用し、第2都市と新1号都市を結ぶ移動経路が検討された。堆積灰が固化し、簡易舗装をしやすいところが移動経路に選定された。飛行船により移動経路図に沿って固化を確認するための観察飛行が行われ、移動経路の小修正が行われた。無論、移動経路の全てを完全に固化した場所とするのは不可能であり、移動経路の図上には湿地や川、崖などの注意箇所が記載された。
 具体的な移動計画は次のように策定された。
先ず20人の先発隊が出発し、3日後に1000人の舗装隊が、4週間後に3000人の装置運搬隊が、5週間後に1万4000人の一般隊が、6週間後に残りの予備隊が、それぞれの装備を携え出発し、全長3000kmの道のりを1日平均30km、100日かけて移動する。
 先発隊は、移動経路上の問題箇所を見つけ調査を行う。必要に応じて予定の経路を迂回するなどしながら後続の進路を決めていく。移動経路図の修正を行い、その修正内容を後続隊に連絡しながら前進する。
舗装隊は川に橋をかけ、軟弱な堆積灰地盤には固化剤を使用することで地盤を強化し、簡易な道路を作りながら前進する。
装備運搬隊は簡易な道路上を小荷物は人が背負い進む。資材や小さな道具類は荷車に載せ、重量物は車輪付き専用容器に載せ小型重機で牽引して前進する。
一般隊は自分の荷物や新1号都市で使用する機材を背負って前進する。
予備隊は先行した隊員や荷物にトラブルがあった場合の処理をしながら前進する。
 このような計画の下、キャラバン隊は出発した。

出発から60日目、一般隊が前進している場所で大雨が降った。長く延びた隊列の中央部の隊員は谷の通路を歩いていた。突然の大雨のため避難する場所が見つからず、50名がその場所で完全密閉型の寝袋に入り、雨のやむのを待っていた。
そこに土石流が襲い、50名が飲み込まれた。
しばらくして雨が小降りになり、この事故を知った隊員が事故現場に集まり、埋まった隊員の救助に当たった。30名はすぐに掘り出され無事だった。
小型重機が到着し、残りの20名の救助作業を行った。10名が掘り出され軽症を負っていた。軽症の10名はその場で医師により手当てされた。
続いて6名が掘り出された。6名は手足を失うなどの重症を負い、その痛みに耐えがたい様子だった。医師は症状の重い3名の電源スイッチを切った。比較的症状が軽い3名は腹を開き、痛み回路を切断し、残りの4人の場所を聞き出した。
残りの4人の捜索が再開された。4人は土石流の直撃を受けて、ばらばらな状態で掘り起こされた。痛みも感じない状態である。
隊員はそれぞれの人体部品、特に脳の中枢部とシールドメモリーを集め、一人ずつ順にならべた。3人の脳の中枢部と個人記憶用のシールドメモリーは揃っていたが、残りの1人のシールドメモリーは2つしか見つからなかった。
手作業で懸命に残り1つのシールドメモリーを探していると、また雨が激しくなってきた。このまま捜索を続けていると二次災害の恐れがあり、隊員はいったん谷から離れ、雨のやむのを待った。
再び轟音が鳴り響き、谷は土石流で埋め尽くされ、捜索を断念せざるを得なくなった。限りなく死ぬことのない第3世代の人類において、100年ぶりに死者が出た。

5カ月かけて2万人の移住作戦は完了した。この移住作戦の犠牲者は、6名の重症者と、シールドメモリーだけになった3名、そして1名の死者だった。
手足を損傷した6人の重症者は、カーボン変成機により損傷した手足を再生され完治した。脳の中枢部とシールドメモリーだけが助かった3人は、本人の顔と声を持つ新規に製造した人体に記憶が移され完全に生き返った。しかしこの3人には大きな心の傷が残った。土石流に直撃され、体がばらばらになった時の痛みと恐怖は、個人記憶から消えることはない。しかし、この恐怖の直接記憶は100年後には完全に消滅する。
このようにして4つの新都市への移住計画は進められ、互いに2000km程離れた、人口60万人の5つの都市が誕生した。5つの都市を結ぶ道路は建造せず、それぞれの都市間の移動には飛行機が利用された。

巨大地震からの脱出検討

その間にも巨大地震は頻発していた。5つの都市に分散したことにより、超巨大地震による人類絶滅の恐れは少なくなったが、巨大地震による死の恐怖は多くの人に蔓延した。
地上で生活するには危険すぎる。かといって海は巨大津波があり危険すぎる。いっそのこと、羽を取り付けて空中を生活の拠点にしたほうが良い、などの冗談を言う者もいた。
地震学者と関係官僚を中心とした、〔巨大地震対策検討会〕が大々的に組織され、その中の分科会として、各種専門家を集めた、特定の内容に絞らずに、幅広い面から巨大地震対策について検討する、〔自由検討委員会〕が組織された。
この中の人類学を専門とする委員から、「第3世代の人類と第1、第2世代の人類とを比較することにより、巨大地震から逃れる術を見出そう」との提案があり、第3世代の人類がそれまでの人類に比べ圧倒的に優位な点を、思いつくままに箇条書きした。
死ぬことがない、を筆頭に箇条書きを始め、エネルギーは電気だけで食事はしない、水を飲まない、排便排尿がない、呼吸する必要がない、というところまで箇条書きが進んだところ、一人の委員が興奮気味に叫んだ。

――我々は真空中で生活できる。宇宙でも生活ができる。

 このアイデアは完全に盲点だった。しかしながら、そういわれてみると不可能ではないことが他の委員にもすぐに理解できた。
「巨大な宇宙ステーションを作って、そこで生活すれば地震は関係ない。宇宙ステーションといっても真空中で生活できるので、単に宇宙に放出されないように工夫するだけで良い。宇宙に飛んでいかないように、引力だけあれば良い」
「引力なんて大げさなものでなくても、床を鉄で作り、足底にマグネットを張れば、それで宇宙に飛ばされずに生活できる」
しかしながら、同時に別の懸念も湧いてくる。
「宇宙は真空で何もない。宇宙で生活するための道具や電力は宇宙では作れない」
「太陽光から電力を作ることは技術的には可能だが、われわれの現状の装置では、メモリー用の小型チップは作れるが、太陽光を電力に変換するソーラーパネルを作ることができない。生活の場を宇宙に移しても、あくまでも製造の場は地球上だ」
委員長が「地震の恐怖から生活の場を宇宙に移しても、製造の場は地球上なので、宇宙と地球とを行き来しなくてはならない。質量電池が完成すれば別だが、それまでは宇宙での生活などありえない」と発言し、この日の検討会は終了した。
翌日、第1世代の人類史を専門とする委員が「21世紀初頭、宇宙と地球とを行き来する宇宙エレベーターという構想があった。静止衛星とその直下の地上とを丈夫なケーブルで結び、エレベーターを設ける構想だが、色々な点で無理があり構想で終わったという記録がある。今はカーボン変成機により当時とは比較にならない強度をもつケーブルを作ることができる。検討の余地があるのでは?」と発言した。 
カーボン変成機で製造したケーブルの強度に関しては、第3世代の人類が誕生して間もない頃、大きな望遠鏡を山頂に引き上げたり、新1号都市の開拓時に僅か80キログラムの材料で、2300kmの通信ケーブルを製造したりした。あまりにも有名なことなので、委員の間で興味が沸き、この構想を最重要テーマーとすることにした。
翌日の検討会に宇宙エレベーターの知識を持つ技術者が加わった。当時の記録によると、次の点について問題が指摘されていた。

1 ケーブルの強度。
2 気象、特にエレベーター籠が受ける強風の問題。
3 宇宙と地上の間の電位差の問題。

 検討の結果、ケーブルの強度については、当時はカーボンナノチューブを使用したものが対象となっていたが、現在のカーボン変成機によるケーブルは桁違いに強度が大きいので問題ない。エレベーター籠が受ける強風の問題は、ケーブルの強度が桁違いなのとメッシュで籠を作り、風通しを良くすることにより解決できる。電位差の問題に対しては、ケーブルの伝導率は限りなく小さくできので、宇宙基地の電位が地上の電位と同じになる。宇宙との間の電位差による影響は良くわからないが、問題があっても対策は可能、との検討結果となった。
 この結果を受けて次のような宇宙エレベーターの仕様案が、技術者を中心にまとめられた。 

1 地上基地は赤道の通る新3号都市の、ほぼ赤道直下に設ける。
2 宇宙基地は静止衛星軌道に設ける。
3 地上基地と宇宙基地の間をメインワイヤで結ぶ。
4 エレベーター用の滑車は宇宙基地に2基設け、2基の間隔を50mとする。
5 宇宙基地の2基の滑車と、地上基地の半径50mの回転板とをループ状の牽引ワイヤで連結する。
6 エレベーターの上下移動は地上基地に設けたモーターで回転板を回転させて行う。
7 片側の牽引ワイヤにエレベーター籠を配備する。
8 最大時速5000km、最大荷重5トン。

  
 この最終目標に対し、100年計画で実行することが政府により承認された。無論最初からこのような本格的な宇宙エレベーターを作るのではなく、最初に小型の宇宙エレベーターを建造し、段々と大きくする計画である。
 まず何の足がかりもない宇宙に小さな宇宙基地を作るためには、ロケットで静止軌道まで荷物を運ぶ必要がある。最初に運ぶ主なものは、メインワイヤ、牽引ワイヤ、滑車2個、滑車間プレート、バッテリーで、宇宙隊員2名が操縦し、第1次宇宙エレベーター用の第1次宇宙基地を設営する。
 宇宙基地設営に向けて、ロケットを開発する必要があり、仕様が検討された。ロケットは3段式とし、1段目はジェットエンジンを使用し、高度10kmで切り離し、2段目は通常のロケットエンジン、3段目は3分割型のロケットエンジンを使用することになった。
ジェットエンジンについては第2世代の終焉時に、記憶信号を発信するための発電機に用いたジェットエンジンを参考にした。第2世代の人類は宇宙空間を国際管理し、監視衛星等、多数の衛星を使用していたので、ロケットの関連の文献が豊富に残っており、それを参考に製造することにした。それでもロケットの開発には5年を要した。
ロケットエンジン以外の、ロケットの躯体やワイヤや滑車など構造部品については、カーボン変成機で簡単に作ることができた。また、第3世代の人類は、宇宙空間を飛び交う放射線に対して、脳の回路部だけが問題なので、宇宙隊員の頭部に充分な放射線対策が施されることになった。

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