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SFC人類の継続的繁栄 第6章『脳内レジャー』

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

脳内レジャーの解禁

 フィルター方式とその技術から生まれた記憶操作による娯楽体験は、良かれ悪しかれ第4世代の人類にとってもはや無視できないものになっていた。
 当初の医療目的はともかく、記憶操作による娯楽、快楽を求める人々の声は大きくなっていた。政府としても悪徳業者の乱発といった問題を経て、「脳内レジャー」の規制緩和について検討を始めた。今まで体の動きを伴わない、脳内だけのバーチャルレジャーについては禁止していたが、一部解禁に向けて検討を始めたのである。
解禁に当たっては、21世紀初頭に第1世代の末期の人物が残した、次のような思考実験メモを参考に検討した。

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人生体験ビジネスの可能性と諸問題

 過去のいまわしい記憶のために、苦しんでいる患者のための治療技術が大幅に進歩して、またその研究過程でその人の現時点の記憶が、その人の過去を決めている事がわかり、記憶倫理委員会で長期間議論された後、もともとの重要な記憶に手を付けない事を条件に、記憶の制御医療は大幅に緩和された。
 それにより、さらに技術は進展し、医療以外の分野にもこの技術が応用されるようになり、ついに「人生体験旅行」という新しいビジネスが始まった。もちろんこのビジネスにも一定の規制は課されていたが、法規制ぎりぎりの、あるいはその盲点をつく方法を考える悪徳事業を行う者も現れた。

「憧れの人生体験社」もその一つだった。憧れの人生体験社は、ちょうど今の旅行社のように、体験したい色々なコースがあり、コース別に値段がつけられている。ただし旅行社のコースに比べスケールが桁外れに大きい。たとえば信長コースは30年間に及ぶ長期間のコースで、歴史小説をもとに構成されている。しかも、信長は本能寺で光秀に殺されるところは変更され、天下を統一したところで終わっている。信長コースに限らずほとんど全てのコースがハッピーエンドになっている。

 65歳のKさんもこの話題を聞き、どのようなものか、聞くだけは聞こうと、憧れの人生体験社をたずねた。すぐに知的で美人の説明員が微笑みながら近づいてきて一通りの説明が行なわれた。Kさんは前々から不思議に思っていた「何で30年間の体験を3時間でできるのか」と、説明員に聞いた。「それでは技術者に説明させます」と言って退席し、代わりに、いかにもそれらしい技術説明員が対応した。
 Kさんは「何で30年間の体験を3時間でできるのか」と、再び技術説明員に質問した。説明員は「アインシュタインの相対性理論が元になった時間変換理論が・・・により発見され・・・によりこの理論を基にした時間変換装置が開発され・・・・」と、マニュアルどおりの、インチキなそれらしい説明をした。さらに実際に信長になるのではなくて脳のなかで体験するだけです。と付け加えた。
 Kさんも「実際に信長にならなくても、脳の中で信長になれば同じ事」と思い、納得し、さらにコースの説明を受けた。信長コースのほかにヒトラーコースやクレオパトラコース、その他色々なコースがあり、各コース内容が詳しく書かれたパンフレットがあり、また各コースのあらすじもビデオ化されていた。Kさんはパンフレットとビデオを借りて家でじっくりと検討し、秀吉コースを選んだ。
 翌日憧れの人生体験社に行き、係員に「40年の秀吉コースが気に入ったが、ここのところだけはあまり気に入らないので迷っている」と相談した。係員は「オプションで変更ができますがどのように変更しますか」と尋ねた。変更内容を言うと係員は技術者を連れてきた。Kさんと技術者は変更内容を打ち合わせて、最終シナリオができ上がった。
 こうしてでき上がった、Kさん向けの40年間秀吉コースの見積もり金額は155万円だった。5万円を前払いして体験ルームのベッドに寝かされた。体験ルームにはそれらしい色々な装置が整然と置かれていた。
 いよいよKさんの長い秀吉人生が始まる。Kさんは仮眠状態にされ、頭に記憶入力器がセットされ書き込みが始まった。書き込みは30分で終了し、2時間後に仮眠状態から目覚めた。Kさんは目覚めた後、興奮して係員にしゃべり始めた。係員はいつもの事なので少しうんざりしていたが、話に相槌をうちながら後片付けを始めた。
 40年間の秀吉の体験に大満足をしたKさんは残金の150万円を支払って帰った。Kさんは帰り道で考えた。「40年間のすばらしい体験がたった155万円でできるのなら、1年間生活を切り詰めてまじめに働けば155万ぐらいはできる。40年間のために1年間我慢をすればよいのだから」と。

 もちろん、憧れの人生体験社で受けた時間変換装置や、脳の中だけであれ40年間の体験などインチキであり、実際には40年間秀吉になって大活躍をしたという記憶と、大活躍の部分は鮮明に、その他は断片的にその時々の記憶を植えつけられただけである。しかしKさんにとっては大満足であり、また、このビジネスはあながち詐欺とはいえない。また、このビジネスは非常に儲かる。目覚めた後みな大満足しているので、残金を払わない人などほとんどいないからである。
 最初から金を払うつもりのない人、金を持っていない人がいて、大満足を押しこらえて、「こんなんじゃ金を払えない」と言ったら、「それは申し訳ありませんでした。それでは今の事はなかった事にしますから、また体験ルームにお入りください」といえば、「それだけはやめてくれ、金は必ず払う」といい、その場でローンを組むでしょう。誰だって自分が体験した全ての事を記憶してはいない。年を取ってくると、若いときの自分の記憶はほんの断片的なものしかない。仮眠中のKさんには「40年間秀吉として大活躍をした」という断片的な記憶があり、仮眠から目覚めたKさんには「40年間大活躍をしていた」との、大満足の記憶が残る。
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 検討の結果、今後「脳内レジャー」を解禁する上で、次の3つにおいて認められることが決まった。

  1. 21世紀初頭の文献にあるような、バーチャル歴史体験
  2. スポーツ選手として活躍する、バーチャルスポーツ体験
  3. 一時的なバーチャル覚せい剤

 このような脳内レジャーは、技術的には極めて簡単である。しかし実体験を伴わない脳内レジャーは、第1世代、第2世代の人類から受け継いだ〔人類の継続的繁栄〕の精神を逸脱しかねず、また脳内レジャーは第1世代、第2世代の人類と極めてかけ離れた方式、という理由で禁止されていた。
 一方で、人類の世代交代が進む中で、歴史的に失われつつある人類の記憶を追体験することで、過去の人類を学ぶこと。スペシャリストの視点を追体験することによる視野の拡張や発想の拡大、非日常的な刺激によって生じる感性の変化などが、今回の規制緩和に向けた大義名分となった。
 また、脳内レジャーが一部解禁された背景の1つとして、専門家による、以下の要約に示す研究結果があった。

「第1世代、第2世代の旧人類は脳内レジャーが脳単独ではできないが、体を使用するリアルなレジャーを行っていた。しかし、リアルといっても、目や耳や手足などの部品を使い、それらの部品からの信号を脳で処理し、最終的には脳がレジャーを味わっている。旧人類も我々も、共に脳がレジャーを味わう事に変わりはない。旧人類は我々に比べ、脳に至るまでの効率が極めて悪いだけの違いである」

 この論は重要な論説として支持され、脳内レジャーの規制緩和におけるその根拠のひとつとなった。

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