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SFI 人類の継続的繁栄 第15章『K氏の失踪』

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

些細なきっかけ

 ある一家の中に通信会社の技術者として勤務する男、K氏がいた。技術は一流だが弁はあまり立たなかった。小さなことで同僚といさかいになり、2人とも上司に注意を受けた。明らかに同僚がいさかいの元を作ったにも関わらず、口下手なK氏は同僚のうまい言い訳により上司から悪者扱いされそうになっていた。
K氏は一体化している饒舌な自宅の人格であるL氏が表に出てくるのを待っていたが、L氏は表に出ず、口下手ゆえに上司からひどくしかられてしまった。昨夜L氏はネットのゲームにはまり込み、K氏が勤務中ぐっすりと寝込んでいた。これが原因となり、家族とうまく行かなくなり、K氏は家族から抜けだしたくなった。
 K氏は一体化しているほかの2人に気付かれないように離脱の方法を考えた。瞬時通信の技術者のK氏は巧妙に離脱方法を考え実行した。自宅の人体の制御脳の中に家族宛のメッセージを残し、一体化から分離し、勤務先の人体と瞬時通信で接続した。家族宛のメッセージには「しばらく1人になりたいので離脱する。冷静になったら帰るので会社には知らせないで欲しい」旨が書き残されていた。
 家族は世間体もあり、どこにも連絡せずに帰りを待つことにした。 

 K氏は1人になり、職場の自分の人体を使用し、通常に勤務しながら次の作戦をたてることにした。自宅に帰ることができないので当面は勤務終了後も待機モードを装い、自分の人体のまま会社で過ごすことが必要である。業務終了後の会社の待機室には、待機モードになっている単純な制御脳を持つ多数の人体が待機している。
 職場には人体から取り出した副脳が実験用に大量に保管されていた。副脳を1つ取りだし、瞬時通信に接続し、クラウドの中にある自分の雲脳の脳内データを全て副脳にコピーした。元々副脳の脳内データをクラウドに移したので、クラウドの中の雲脳データを本来の副脳に移すのは専門技術者なら簡単なことである。
 次に自分の人体の頭部から瞬時通信部と制御脳を取り除き、換わりに自分の脳である副脳を取り付けることが必要である。しかし自分でこれを実行する事は不可能であり、誰かにやってもらう必要がある。
瞬時通信を切り換えて同僚の人体に乗り込み、待機状態になった自分の人体の頭部を手術する方法も考えたが、この方法はリスクが大きい。これに対し待機状態の同僚の頭を手術して、自分の副脳を取り付けるほうがはるかにリスクは小さい。ただし顔や声が自分と違ってしまう。しかし顔や声は重要でない。後から修正することもできるのでこの方法で行うことにした。
次に沢山ある同僚の人体のどれを選ぶかである。どれを選んでも顔と声が違うだけでその他は実質的に同じだが、性別を選ぶのは別の話である。逃げる場合には女性の方が都合が良い。  
 同僚の中に気に入った女性がいた。また気に入っていた女性に自分がなる事への興味もあり、自分がその女性になる事を前提に色々と考えてみた。「自分がこの女性になると当然この女性の人体を使っているいつもの人が出勤する事はできない。別の職場に出張させる口実が必要だ」と考え、関係する書類を改ざんし、5日間別の職場へ出張するようにした。
 待機状態になっている女性の人体スイッチを切り、頭部から瞬時通信機能のついた制御脳を外し、自分の脳内データをコピーした副脳を入れてスイッチを入れた。この瞬間、頭部に脳のある自分が、女性になって新たに誕生した。
瞬時通信でクラウドの中の自分の脳とつながっている男性の人体を持った自分と、頭の中に脳のある女性の人体を持った自分とが目をあわせ、微妙な顔で微笑んだ。2人の自分は、無論、これからそれぞれ何をするべきか相談する必要はない。

K氏の犯行

  勤務時間にはK氏は通常通り働いた。女性の体のK氏は待機状態を装い、部品倉庫に入り、副脳を99個盗んで男性のK氏に手渡した後、待機室に入った。男性のK氏は瞬時通信の実験のふりをして副脳とクラウドの中の自分の脳を瞬時通信に接続し、99個の副脳全てに自分の脳内データをコピーした。
 勤務終了後、K氏は待機状態を装い待機室に入り、10体の待機中の人体の頭部から瞬時通信機能付きの制御脳を抜き取り、コピーした副脳に入れ替えた。これにより新たにK氏が10人誕生した。
新たに誕生したK氏が次々と作業に加わり、最後に瞬時通信でつながっているK氏の頭部から瞬時通信機能付きの制御脳を抜き取り副脳に入れ替え、男女合わせて100人のK氏が誕生した。
 100人のK氏は質量電池などの当面の生活に必要なものを工場から持ち出し、トラック数台に乗り込み洞窟に逃げ込んだ。洞窟には残量の少ない質量電池やカーボン変成機や地球から運んできた色々な装置が残っていた。

 翌日、K氏の勤務先だった通信会社では100体の人体が失踪したことがわかり大騒ぎになり、この失踪事件を治安機関に連絡した。失踪した人体の所有者の家族から、「出勤したいができない。何か事故があったのか」等の連絡が相次いだ。 
 治安機関の捜査官が大勢来て、関係者に聞き取り調査や現場の調査を行い、次のようなことがわかった。

  1. 前日まで何の兆候もなかった。
  2. 職場で特段のトラブルもなかった。
  3. その日の朝、100体の人体が失踪していた。
  4. 失踪した人体から取り出したと思われる100体分の瞬時通信機能つき制御回路が放置されていた。
  5. 実験の材料として保管していた100個の副脳が無くなっていた。
  6. 数台のトラック、質量電池やその他の機材がなくなっていた。

これらの結果から何者かが昨夜の内に100体の人体の頭部から制御回路を外し、副脳を入れ、頭に副脳を備えた100人がトラックに乗り失踪したことに間違いなかった。しかし誰がどのような目的でどのように行ったのか皆目見当がつかなかった。

事件の顛末

事件の解決へ向けての捜査関係者の議論が始まった。

「失踪事件は最近増加している。しかし今回のような大掛かりな、しかも瞬時通信から切り離し、頭の中身を副脳に替えた失踪事件は初めてだ」
「失踪事件が増加しているというが、どのような事件なのか」
「ほとんどは一体化した3つの脳の1つが、家族といさかいを起こし一体化を解消し、自分の人体か装置としての人体に瞬時通信をつなげて家出する、家出事件だ」
「一家の6脳は最適な組み合わせになっていた。それなのになぜ今になって家族間でいさかいが増加したのだ」 
「組み合わせを行った当時は確かにベストな組み合わせだったが、人間は時間が経てば色々と経験し、記憶は連続していても当時の人間と同じ人間ではない。いさかいが起こるのも不思議なことではない。しかし今回の事件は全く違う。副脳の点もそうだが、連絡が取れた家族には全ていさかいなどなかった。『出勤ができなくなった。何かトラブルがあったのか』と、本人から会社への問い合わせにより始めて事件が発覚した」
「本人が失踪したのではなく、使用している人体だけが失踪したということか」
「今、残りの家族との連絡が取れた。そのうちの1つの家族が『しばらくしたら戻る、とのメッセージが残されていたので当局には捜索願を出していなかった』と言っている。失踪したのは5日前で、この通信会社の上級技術者だ」
「その技術者が事件の鍵に違いない。その技術者とはどういう人物だ」
「Kという男で、制御脳を瞬時通信とつなぐ部分の専門家だ。人体から取り出し不要になった大量の副脳も実験の部品として使っていたそうだ。だいぶ前に同僚とトラブルを起こし、それが原因で家族とうまく行かなくなったとの事だ」
「トラブルを起こした同僚は今回の失踪と何か関わりがあるのか。本人の人体は失踪したのか」
「トラブルはとうに解決したらしい。その同僚の人体も失踪しているが、今回失踪した100体はこの職場で働く人体のほとんどだ。事件に巻き込まれただけのようだ」
「Kという男は瞬時通信も制御回路も副脳の事も全てに精通している。Kによる犯行とみて間違いないだろう。5日目に失踪したということだが、昼間は通常の勤務を装いながら準備して、勤務終了後には待機状態を演じ、何かをしていたに違いない」
「K1人で一度に100人の頭の手術をしたとは思えない。自分で自分の頭の手術をするのは不可能だ。少しずつ協力者を増やしていたのに違いない」
「瞬時通信記録から何かわからないか」
「犯行は夜間に行なわれている。犯行時間にK以外に瞬時通信につながっている者は誰もいなかった。犯行日の深夜までKの人体は瞬時通信でつながっていたが、その後、突然切れ、それ以降は切れたままだ。先に手術されKの手下になった誰かがKの頭を手術し、瞬時通信を切断したようだ」
「会社の記録と家族の証言から面白いことがわかった。同僚のMという女性が事件の当日、出勤前に突然地方への出張を命じられた事が判明した。このような突然の出張は前例がないとのことで、出張関係書類が改ざんされ、この改ざんが突然の出張のもとになったのが明らかになった。本人も関係者もこの出張にはあまり意味はなく、書類の改ざんだけが突然の意味のない出張につながったとのことだ」
「前日の夜、この女性の人体が待機状態にあるときに、頭を手術し、手下にしたと考えるのが妥当だろう。突然の出張とも符合する。当日の勤務時間にはMの人体には既に副脳があり、自由に行動できたはずだ。待機状態を装って犯行の準備をしていたに違いない。勤務が終了してからは、瞬時通信でつながっているKも副脳のあるMも待機状態を装うというやり方だ。その後は、待機状態を装い待機室に入り、待機状態の人体に次々に手術を施し手下を増やし、その手下が更に待機状態の人体や、K本人の人体にも手術を施し、最終的に100人になった。この方法なら短時間で犯行が可能だ」
「しかし手術により手下を増やすにしても、手術には技術が必要だ。また手下になる者にも手下になる動機があるはずだ。副脳には誰の脳内データを使用したのだろうか」
「K自身の脳内データを使用したに違いない。手下でなく自分自身の複製だ。頭にKの脳内データが書き込まれた副脳が取付けられ、目覚めた瞬間にK自身になったのだろう。K自身ならやる事もやる手順も全てわかっている。だから短時間でできたのだろう」
「このような大掛かりな事件を起こした犯行の動機は何なのだ。家族とうまく行かず家出した者は沢山いる。なぜKだけがこのような大事件を起こしたのだろうか」
「Kの性格もあるだろうが、Kが置かれた職場が鍵だ。あの職場やKの担当している仕事そのものがこの事件を起こす条件を満たしている」

 失踪先の捜査が始まった。しかしこの天体の表面は硬い石英で覆いつくされている。トラックの通った跡の追跡は不可能だった。
 Kを除く失踪者の家族からは、人体が戻ってくることを期待する声はあまり強くなかった。家族からすれば失踪事件ではなく、使用していた人体がなくなった盗難事件であり、失踪した人体にこだわる必要はなかった。会社から新しい人体が支給され、家族や当人にとっては、何ら実害はなかった。
 この事件を機に人体製造省の中に家族局が新設された。家族との関係がこじれ、一体化から分離し1人で暮らすものや、1人が分離し5人となった家族を登録し、その中から相性の良い相手を探し、新たな6人の一家を作り、できるだけ家族のない1人で暮らす者をなくし、安定した社会を作るためのシステムが構築された。
 システムが順調に機能を始め、分離者の大半は新たな家族に向かい入れられ、100体の失踪事件は世の中の関心事ではなくなった。

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