この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
国際少子高齢化対策検討会発足
綱渡り的な場当たり的な方法だったが、核問題や超高齢化社会による問題を解決した国際政府は、2070年、次に直面する大きな課題、特に少子化による人口の急速な減少に向けた対策として、上田悠斗を長とした〔国際少子高齢化対策検討会〕を発足させた。
少子高齢化問題には様々な要因があるが、その中で最も大きな問題は、100年近く未解決なままであった社会構造的な世代間ギャップであった。リタイアした人を支える年金による社会保障費の増大、介護の負担などにより若い世代が子供を設ける余裕がなくなるという現実の問題があり、その問題の根本的な解決に向けて検討した。
その結果多くの人が望む、いわゆる「ピンピンコロリ」の実現は一つの指針となったのである。こうして介護の負担ない社会を目指す、ゲノム編集技術の開発が優先されることになった。このビジョンの実現は、極端に言えば昨日まで元気に働いていた人が急に亡くなる事であるが、これは単純なゲノム編集技術では解決できず、意図的に行う方法しか見つからない。ただ、それには倫理的な問題から専門家のみならず世論の反対も多く、検討会は行き詰った。
この行き詰まりを打破するために、死の考え方の原点に立ち戻り、技術はともかくとして、社会全体から見た「理想の死」についての議論が対策会議の提起によって、全世界規模で行われることになる。
これまでならばこのような議論は国や地域、社会階級や主義、信仰などによって大きな偏りがあったが、世界情勢の安定によって全世界的に人間生活レベルが向上したことは明らかであった。これまで当たり前にあった人間生活の格差が縮まったことにより、世界の人々にとっての課題となる事柄にも大きな差がなくなったのである。もちろん例外はあったが、格差是正を実現した社会を維持するための議論は、各々が個別の事情で分裂していた100年前では考えられないようなスムーズさと冷静さをもって熟成されていった。
その結果、概ね「90歳までは老化せず、90歳から治療を要する病は発祥せずに体力や外観が徐々に老化し、95歳を過ぎると外観や体力的な老化が著しくなり、そのため当人もこれ以上の長寿はあまり望まなくなり、また身体的な衰えから多くの人は仕事をやめ年金生活に入り、100歳で治療を要する病を発症する事なく死に至る」とのストーリーが理想であるとの合意形成が世界的に達成されたのである。
受精卵の遺伝子操作を前提に、これを技術的に達成するための技術チームによる検討会が開かれた。検討の結果「治療を要する老化を防止し、なおかつ外観上の老化、体力的な老化を通常に進行させる事」は、遺伝子操作でほぼ可能と結論付けられたが、「治療を要する老化を発症せずに100歳で急に死ぬ」という誠に都合の良い矛盾だらけの課題を、どのように解決するかについては何ら方策を見出せなかった。いくらゲノム科学が進展したといっても、体内に時限爆弾を作る事は不可能である。
そもそも古来より「死」とは何かについては様々な議論があったが、全世界で共通する明確な定義は今もなされていない。一応、一般的にはバイタルサインの停止によって死亡が認定されることが多いが、脳死が死であるかですら今も世界共通の認識や決まりがあるわけではない。
そこで技術チームは、死に至る経過、生と死の境目について改めて分析・考察を行った。今回の場合、倫理的な、あるいは形而上学的な死の定義ということではなく、誰もが分かる生命活動の停止、いわゆる死亡状態を明確にすれば目的は果たされる。
このような課題の明確化を行った結果、誰もが分かる「死亡の定義」とは心臓が停止する事であり、「心臓をいかに都合よく100歳で停止させるか」が問題解決の鍵であるとの結論に達した。すなわち筋肉や外観上の老化は通常に進行し、心臓を除く他の臓器については老化せず、心臓だけが都合よく老化すれば良い。そして、この方法を見つけるために、心臓の老化についての検討に集中する事にした。
技術チームは、これまでの検討過程の流れを分析し、肝心の一点に集中する事によって、この問題を解決する鍵がある事に気がついた。心臓の老化といっても心臓全体の老化ではなく、心臓の細部の働きを分析することで新たな突破口を切り開いた。その心臓の特定部位の中には遺伝子操作によって制御しやすい部位があり、その一点を集中的にコントロールすることで心臓の働きを制御できる、すなわち「他の部位は老化せず、その点の老化のため心臓が停止する」という可能性が垣間見えたのである。
その後の多くの研究の末、心臓制御における特異点を見つけだした。無論、正確に100歳で突然心臓を停止させる事は困難だが、5つの遺伝子を操作する事により、100歳前後で心臓が停止する手法について見つけだし、この5つの遺伝子を〔核心遺伝子〕として使用する事にした。
この難題だった心臓停止の件も含め、これまでに検討した核心遺伝子による結果をまとめると、「遺伝病はなく、放射線に強く、治療を要する病気にかからず、老化による怪我の発生も大幅に減少し、筋力や外観は普通に老化し、95歳までは十分に就労でき、治療を要する病を発症する事なく100歳前後で心臓が停止し死に至る」という、誠に都合の良い結果である。
これにより21世紀初頭と比較して、医療費は2%、年金は10%、平均介護時間は1%にまで減らす事が可能、とのシミュレーション結果となった。しかし、受精卵の遺伝子操作でこれを行う事には色々な問題があり、もっと現実的で理想的な〔誕生システム〕が必要との結論に達した。
この検討結果を受けて、2080年に大規模な〔国際新誕生システム検討委員会〕が発足し、技術面、運用面等に厳格なルールが規定されることになった。2100年から国際的に全面運用することが決まり、西暦2100年を第2暦元年とし、人類における第二世代の誕生と、その引き継ぎ、バトンタッチを行う事が決定された。
新誕生システム
新誕生システムでは、男女カップルの場合は1~4人、同性カップルの場合は1~2人、単身者の場合は0~1人の子供を持つように義務付けられ、平均出生率は、2.01となるように計画された。平均出生率に0.01を加えたのは、事故等による死亡を考慮したためである。また、この新誕生システムが安定して運用された場合、最終的に世界人口は50億人となるように、逐次運用上の調整を行うように計画されていた。
具体的な方法は、受精卵を製造するまでの過程は異なるが、それ以降は21世紀初頭の体外受精と同様の、違和感のない方法である。
既に、ゲノムを構成する全DNAの役割は、ほぼ完全に解明されていた。その中で、遺伝子病に関するもの、寿命に関するもの、傷ついた遺伝子を修復する能力を高めるもの、免疫を高めるもの等の重要な遺伝子は、核心遺伝子と称され、核心遺伝子は一律に置き換えるように、国際政府により厳しく決められていた。従って今後誕生する第二世代の人類の体には、一律に次のように改良が施される事になった。
主な改良点は、「遺伝子修復能力が著しく強化され、放射線等により遺伝子が傷つけられてもすぐに修復する事」、「癌はほとんど発病しない事」、「遺伝子病は完全になくなる事」、「感染病に対して著しい抵抗力をもつ事」等である。
このような改良により、多少の放射線の下でも生活する事ができ、病気にはほとんどかからず、臓器や骨などはあまり老化せず、病気による医療費のほとんどかからない、理想的な人体を持つ子供を誕生させることが可能となる。
なお、老化の進行を止め、死から逃れる事も技術的には可能だったが、長時間検討した結果、〔人類の継続的繁栄〕という基本的な理念の下、やはり死と生は繰り返すべきものだと決定され、医療費のかかる老化は防ぎつつ、寿命は100歳前後とする事にした。