この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
鑑識結果と新事実
二人の刑事が鑑識課に向かうと、予想通り担当の鑑識官は戻ってきており、証拠品の整理を行っているところだった。そして、ベテラン刑事が入ってきたことに気がつくと、軽く会釈をする。
「押収品はこれで全部か。少ないな」
「元々、物が少なかったですからね。私用していた端末の方は、別部署で解析をはじめていますが、なにか出るとしても数日かかると思います」
「あいつが事情聴取で話していたことが本当ならば、補助メモリーのアップデートソフトとかその関連で何かあるはずだ。そのあたりを優先してくれ」
「わかりました」
「現状、分かっている範囲では何か出たか」
「今のところは、本人と被害者、あと踏み込んだ巡査以外に人が最近出入りした痕跡は見つかってないですね」
この鑑識官の報告に、余罪があると見ていた2人の刑事は少し意外に思ったが、黙って鑑識官の報告の続きを聞く。
「押収品には記憶メディアもいくつか。一応見た目は正規に流通しているものですが、中身は記憶ドラッグの可能性もありますので、こちらも現在解析にまわしています」
「もし記憶ドラッグが混じっていれば、余罪で拘置を伸ばせるな。こっちを最優先で頼む」
ベテラン刑事の感は、叩けばこの事件まだ続きがあるといっていた。このまま藤森を釈放することで、何か重大なものへの手がかりを失いかねない。そんな気がしていたのである。
翌日、予想通り押収品には記憶ドラッグが含まれていたと鑑識からの報告が届く。世間を騒がしている例の記憶ドラッグだった。ただし今では、ある意味で異例の大ヒットコンテンツともなっている代物であり、それが藤森の部屋にあっても何らおかしいことではなかった。
「だから、僕は使ってないって。友達にもらっただけ」
取調室でそう弁明する藤森。記憶ドラッグの所持は、押収の対象にはなっても罪にはならない。そのことは藤森も知っているようだ。ただ、使っていないというのは嘘であろう。藤森が作った記憶ドラッグ中毒の治療薬、その着想は新見の記憶から得ていることは明らかだ。
また、例の記憶ドラッグのオリジナル記憶保持者である新見の所在は、捜査当局は現在もつかめておらず、末端の警察官を含めて「その所在の調査は最重要事項とする」とのお達しが上層部から出されている。藤森が新見と直接的な接点があったという証拠はないが、その可能性は捨てきれなかった。つまり、この事件は、ただのよくある事件から、重大な事件の派生である可能性がでてきたのである。
「友達、いたんだ友達。君の部屋、あまり人が出入りした様子がないみたいだけど」
昨日と同じくふざけた態度で取り調べに応じる藤森に対し、新米刑事は仕返しとばかりに挑発する。
「そ、そりゃ、友達ぐらい誰にだっているでしょ」
それまでふてぶてしい態度を崩さなかった藤森だったが、この質問には少し動揺したような態度をみせた。そんな様子を見て、新米刑事は「なんだ図星かよ」と内心、藤森を嘲る気持ちが湧いてきたが、ベテラン刑事にはそれとは違った考えを持った。
「その友達の名前を教えてくれるかな」
ベテラン刑事は藤森にそう尋ねたが、藤森は返事をしなかった。そして以降、藤森の態度はこれまでとは一転、取り調べに対して完全黙秘に変わったのである。
藤森の拘置はベテラン刑事の読み通り延長されることになったが、取り調べはその後まったく進展がなかった。容疑者がスリープモードなどに移行してしまった場合であれば、捜査の一貫として強制的に半覚醒モードに切り替えて取り調べすることも認められるが、藤森はそれもしないため人権的には彼が自発的に話してくれるのを待つしかなかった。
そして、そのきっかけとなるかもしれない情報は、鑑識からもたらされた。藤森が所持していた端末の解析が終わったのである。その中にあったアドレスリストには、彼の友人らしき人物のリストもあった。そして、すでに消去され鑑識が復元したアドレスの中には思いがけない人物の名前があったのである。
「あの荒木議員と知り合いなのか」
ベテラン刑事のそんな一言に、これまで無反応を続けていた藤森が明らかに動揺した態度をみせた。そして、「はあっ、やっぱりわかっちゃうか」と諦めたようにつぶやくと、ベテラン刑事をまっすぐに見据えていった。
――彼は、僕が最初に治した患者だよ。
藤森の告白
藤森と荒木は、藤森がスラムを拠点にするようになってすぐに知り合った。元々、荒木は歴史分野に才能があったようで、研究室で人類の歴史研究を行っていたが、その奇抜な研究内容をめぐって保守的な上層部と対立し、学会を追われた。その頃は、その日暮らしの作業員をしていた。
同じように親会社及び古参の上司と対立してスラムに流れ着いた藤森は、荒木とすぐに意気投合した。肉体的な快楽や、食事の楽しみなどが存在しない第3世代の人類にとって、こうした個人記憶をわかりあえることは何よりの癒やしであった。
「荒木とは親友だった……」
取調室の隅の方に顔を向けどことなくぼんやりとしながら、藤森はその過去について話し始めた。
「“だった”ということは、今はそうじゃないのか」
きっと藤森は話したくないだろうが、ベテラン刑事は容赦なく尋ねる。
「ふふ、そうだね。今や彼は雲の上の存在だよ」
藤森はどこか自嘲気味にそう答えると黙り込んだ。どうやらその頃の思い出話はこれ以上聞かせてくれなさそうだ。
「彼が最初の患者だといったな。それが治療薬を開発しようとしたことと、何か関係があるのか」
これは核心に迫る問いだった。この問いに明確な返事があるとは思わなかったが、藤森は大きなため息を付くと、諦めたように語りだした。
「あいつはさ、何ていうか僕とは違ってアクティブなんだ。人と話すのが好きだし、新しいものが好きだし、反政府運動なんかにも積極的に関わっちゃうようなね」
「だから、記憶ドラッグも結構使っていた」
新米刑事が誰もが疑問に思ったことを口にするが、藤森はそれには反応せずに話を続ける。
「だいたい半年くらい前かな、千鳥足の状態で彼が部屋を訪ねて来たんだよね。明らかに様子がおかしいから近くの診療所に彼を連れて行ったんだ。そうしたら間が悪いことにさ、その診療所は閉まっていて、ちょうど引っ越しの最中だったんだ」
「もしかして、その診療所って……」
また、新米刑事が口を挟むが、今度は藤森も黙って頷いた。
「実は新見先生とは付き合いがあったんだ。あくまで商売上のだけどね。小型通信機に入ってるソフトがあるでしょ。あれを初期化して、再起動するためのソフトを作ってあげたことがある。当時はそんなもの何に使うんだと思ってたけど、後になって納得したよ」
納得したということは、例の記憶ドラッグに収められた新見の記憶を見たということだろう。
「新見の居場所に心当たりはあるか」
荒木ばかりか新見とも付き合いがあったという事実に、思わずベテラン刑事も反応して尋ねてしまったが、藤森は黙って首をふる。
「言ったろ。あくまで仕事上の付き合いだ。プライベートについては知らないよ」
思わぬ情報が出てきたことで話がそれてしまった。ベテラン刑事は話しを戻すように藤森に尋ねる。
「それで新見は引っ越しの最中で、結局は荒木議員の治療はしてくれなかったということか」
「その通り。ただ、新見先生はそのとき面白いことをいったんだ。
――お前なら、俺たち新人類世代の治療薬を作れるかもな。
ってね。そういって、例の記憶ドラッグを僕にくれた。これがあれば友達も治療できるだろうってさ」
やはり、例の記憶ドラッグが藤森のいう治療薬の発端であった。しかも、新見本人から直接それを渡されている。こうなってくると、この件の担当はもっと上層部になるだろう。ベテラン刑事は、この事実を前に上司への報告を優先すべきか、このまま話を聞き続けるか迷った。
藤森が話していることは本当だろう。これは刑事の感がそういっている。また例の記憶ドラッグにある新見の記憶も、政府がアナウンスしているような改ざんされている説は疑わしい。つまり、政府は知っていて嘘をついている可能性が高い。
もし報告を優先すれば自分たちは事件を外されるだろう。あとは人類安全調査室か、公安か、とにかく秘密裏に処理されこの件の真相については闇に葬られる。そう思うと、藤森への同情の気持ちが湧き上がり、自らの正義感を優先してしまう。こういった私情を捜査に持ち込んでしまう部分が、ベテラン刑事が出世できない理由である。
「それで、作ったわけだな。記憶ドラッグの治療薬を」
新米刑事はそう質問を続ける。すると、藤森は突然、大声で笑い出した。そして、一呼吸置いて宣言するようにこう言い放った。
「違うよ。違う。記憶ドラッグじゃない。新人類世代の治療薬だろ!」
新人類世代の治療薬
「なぜ、新人類世代はそんな風に揶揄されるほど個性が強いのか。なぜ、新人類世代だけ記憶ドラッグ中毒なんて症状が出るのか。なぜ、僕たちはこんなスラムで暮らさなきゃいけなくなったのか……。新見先生は、その答えを見つけた。そして、その治療薬の開発を僕に託してくれた」
これまでの態度とは裏腹に、明らかに自己陶酔した様子で熱くその心持ちを語る藤森に、ベテラン刑事が尋ねる。
「その第一治験者が荒木議員だったということか」
「そうだよ。あいつは政治に関心があったからさ、そっち系の記憶を覗いたんだろう。でも、それで中毒症状が発症したんだ。きっとその記憶に何か重要な情報が入り込んでいたんだろうね。でもその記憶をみるには“ステータス”が足りなかったんだよ。だから“エラー”を起こした」
ステータス・エラー。これは例の記憶ドラッグでは新見が激昂するきっかけとなったキーワードであることは、ここにいる2人の刑事も当然知っている。そして、ステータス・エラー、新見の記憶、新人類世代とその治療、記憶ドラッグ中毒、荒木議員の躍進。これらを関連させて考えると、行き着く答えは一つだった。
「……ステータスを書き換えられるのか」
ベテラン刑事は素直にそう口にした。新米刑事も同じことを考えていたようで、お互いに顔を見合わせると、藤森の答えを待った。
「正確には命令の上書きだよ。前に言ったろ。僕はシールドメモリーには手を付けてないって。まあ、どこかの誰かさんはそれをやってるんだろうけどさ。僕らが生まれるときに……」
そんな藤森の話にベテラン刑事は愕然としていたが、新米刑事は思わず口を開いた。
「俺も、俺だって新人類世代だ。つまり俺のステータスも、お前の治療薬ならば書き換えられるってことか」
「ふふふ、やっぱりそうだったのか。でも、残念ながら好き勝手には無理なんだ。ステータス・エラーの後に表示される数字、そのコードがわからないと上位の命令を出せない。しかも、このコードは暗号化された上で個人ごとにも異なるから、一つコードがわかっただけで皆に使えるわけじゃない。荒木の場合は政治関連のエラーが出た。だから、そのステータスを無制限にまで上げてやったんだ。そしたら中毒症状が治っただけでなく、あの通り天才政治家が誕生した。今や次期大統領候補さまになったってわけ。それに、そんなことができるんだったら、まず自分のステータスをオール∞にしちゃうよね」
そんな風に藤森に舐められたことをいわれ新米刑事は激昂したが、ベテラン刑事に「落ち着け」と留められると引き下がった。だが、やり返すのも忘れていない。
「つまり、お前は善意で記憶ドラッグ中毒の治療してたわけじゃなくて、ステータス・エラーの後に表示される、そのコードを集めていたってことだな。患者をサンプルにして、データを集めていたわけだ」
完全に舐めきっていた新米刑事に、核心を言い当てられた。これには藤森も憮然としたが、スラムのチンピラのように言い返すことはなかった。そして、代わりにベテラン刑事に向かってこう告げた。
「あなたは新世代人類じゃないんだろ」
突然そう聞かれて少し驚いたベテラン刑事だったが、素直に「そうだ、もう誕生して50年以上になる」と答えた。それを確認すると、藤森は続けて語りだした。
「残念ながら、あんたたちの世代も関係のない話じゃないんだ。一般記憶の補助メモリーのアップデート、刑事さんは今まで何回やったか覚えているかな」
「いや、いちいち覚えていないな」
「もし、あれにもステータスが書き込まれているっていったら、刑事さんは信じるかい」
そんなことを考えたことはなかった。自分たちの世代は、新世代とは違うとどこかで思っていたのかもしれない。
新世代人類ばかりでなく、私達までも……。そう考え出した途端、ベテラン刑事は突然その場で倒れ込んだ。