この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
脳と人体の分離
第4太陽系をスーパー人の手から開放し、第3太陽系のスーパー人を普通人より少し知能の低くする大作戦は見事に成功した。第3太陽系の進んだ技術や装置は第4太陽系に運ばれ、第3太陽系から徹底的に撤去された。こうして、両者にあったいざこざは解消されたかに思えた。
しかしながら、両者はこれまで第3太陽系と第4太陽系は相手を支配しようとしてだましあい、支配したり支配されたりを繰り返していた。また同じ事が繰り返される不安があった。
今回、第4太陽系が第3太陽系の支配に成功した事も、その前に第3太陽系が第4太陽系を支配する事に成功した事も、25光年も離れた敵地に乗り込まずに、超光速通信を利用し、脳のソフトの書き換えに成功した事にある。
二度と第3太陽系に支配されないように、この点を中心に関係者による議論が行われた。
「第3太陽系との間で繰り返された一連の事件は、脳にある本能ソフト自体が書き換えられた、洗脳よりもっと強い直接的な方法だ。脳は装置としての人体にあり、基本ソフトの一部もその脳の中にある。そのような人体に細工されたらおしまいだ。体を乗り換えて移動する事自体が最大の問題だ」
「体を乗り換えての移動ができなくなる生活は考えられない」
「そういった意見が多くあるのは承知している。その解決方法だが、装置としての人体には脳を設けずに、ソフトも記憶も別に設けた脳の中に閉じ込め、脳と装置としての無脳人体とを通信でつなぐという方法を新たに提案したい。無脳人体と脳とを完全に分離すればこの問題は解決できる」
この人体から脳を分離する案は良案とされ、この方向での議論が始まった。
「人間としての基本ソフトとその人の記憶が入った脳を、完全な防御を施した建物に集めて、脳から通信により無脳人体を操縦すれば安全だ。通信といっても無脳人体を操縦するだけの一対一の通信としてネットから完全に分離すればサイバー攻撃にさらされる事はない。ウイルスに感染する事もなく、脳のソフトを操作される事も完全に防止できる。装置としての無脳人体には脳の代わりに体を操縦するための通信装置を組み込めば良い」
「脳と体を別にして、通信という長い神経でつなげるイメージか」
「そのようにした場合、その人間はどこに存在していることになるのだろうか」
「無論、目があり体がある場所に存在していると認識するだろう。椅子に座れば尻の触覚でその椅子の感触が伝わり、性行為を行えば相手の無脳人体から快感を得る。基本的に今と全く同じで、脳や記憶がどこにあろうと関係ない。脳や記憶はその建物から一歩も外に出ないので、脳をのっとられる心配は完全になくなる」
「第4太陽系のあちこちに、ネットとは全く別の、無脳人体との一対一の通信だけの脳通信基地を設ければ良い。第4太陽系の全人類の脳を地下深くの頑丈なシェルターに厳重に保管すれば完璧だろう」
「完璧は言いすぎだ。超光速通信を使っても、現状の速度のままだと、遠い天体で働く場合は、信号の遅延により体の動きがギクシャクする恐れがある」
「確かにその恐れはある。この懸念を解消するには超光速通信の通信速度をはるかに超えた瞬時通信技術の開発が必要だ」
光を越える瞬間通信技術
「瞬時通信技術が開発できれば、例え脳の格納場所が100光年離れた場所にあっても構わない事になる。ただ従来の人類の概念から大きく外れるような気もするが……」
「脳と基本ソフトと記憶が一体となり安全な場所に保管されていれば、体との距離は本質的な問題ではない。現状の目の前の懸念をどうにかするために他に方式がないのであれば、この方針で行くしかない」
「第1世代の末期には下半身を損傷し、外で仕事が出来なくなった人の多くは、脳神経からインターフェースを介して通信で仕事場のロボットを使って普通に仕事をしていたようだ。従来の人類の概念から外れていない。100万年以上経ってからやっとこの議論になった。我々は全く遅れている」
瞬時通信の開発が肝だとわかり、瞬時通信開発の議論が始まった。
「無論我々の知能では瞬時通信など絶対に開発できる筈はない。第3太陽系で行ったようにπの中から答えを探す必要がある。今回は簡単には見つからないだろう。理想コンピュータの開発が必要だ」
「理想コンピュータは無限の速度と容量を持つものなので現実にはありえない。理想コンピュータに少しでも近づけた準理想コンピュータを開発しよう」
「それでは先ず、準理想コンピュータを作る為の技術文献をπの中から探そう」
「第3太陽系ではπの数列を計算するコンピュータとその数列の中から技術資料を見つける階層型コンピュータを使用していたが、2つあわせた役割のコンピュータを大量に作り、πだけでなく大量の無理数の数列の中から答えを探す、並列システムで行おう。無理数も無限にあるので、無理数を高速で大量に探すコンピュータも作ろう。このコンピュータは簡単に作れるだろう。また、探し出した沢山の関連技術資料の中からさらに良い資料を見つけ出す為に、コンピュータの階層をもう一段追加しよう」
このような方針の下、大量のメモリーチップが生産され、第1次超並列階層型文献探査システムが製造され、そのシステムによりさらに高性能なシステムを作るための文献を自動探査し、それにより第2次システムが開発され、次々と高性能化され、準理想コンピュータである第100次超並列階層型文献探査システムの開発に成功した。
これまでのコンピュータと桁違いの能力の準理想コンピュータにより、次々と超高度な技術に必要な超高度な文献が発見された。
また発見された超高度な文献を人間の知能レベルでも理解できるようにするための解説文献も発見されたことによって、ついに瞬時通信技術の文献の発見に至り、100億光年の間を1秒以内で通信可能な瞬時通信技術の開発に成功した。
これにより脳をどこに格納しようと、信号遅延を生じる事なく無脳人体を操作できる事ができるようになった。今後は二度と第3太陽系からの支配の問題が生じる事のない、また人間の能力を逸脱しない、人類の継続的繁栄を確実に行うための無脳人体システムの構想が完成したというわけである。
こうして、この構想実現に向けての各種設備や無脳人体や脳の製造が開始された。
脳と人体の瞬時通信
無脳人体構想は、基本的に、第4世代、第5世代の人類の能力や生活環境を引き継ぐものであり、第4、第5世代の人類と全く異なる点は、人体から脳を完全に分離する事により、脳に格納された人としてのソフトや記憶という、生命の本質を完全に敵や事故から防護する次のようなシステムである。
- 瞬時通信機能を付加した脳を100万人分集積し、第4太陽系の総住民500億人分、すなわち5万個の集積チップを製造し、地下のシェルターの脳保管庫に厳重に保管する。
- 万一の場合に備え、他の複数の太陽系にも脳保管庫を設置し定期的に記憶データを転送し上書きする。これにより第4太陽系が消滅するような事態が生じても、500億人の命は助かる。
- 従来の人体から脳チップを外し、替わりに脳と無脳人体とを接続する瞬時通信機能を備えた瞬時通信チップを入れる。その数は本人専用装置としての無脳人体500億体と共用装置としての無脳人体1500億体の合計2000億体にのぼる。
- 従来通り、本人専用の無脳人体とその他の職場などで使用する無脳人体の所有権を区別する。
- 非常時以外は常にどれかの無脳人体と瞬時通信でつながり、脳だけの引きこもり状態を原則禁止する。
- 人の移動の概念は、脳のある人体に乗り換える概念から、移動先の無脳人体を操縦する概念に変える。
これにより日常生活は次のようになる。
- 家族構成は従来通り3~6組のカップルからなる循環家族。
- 各家庭には本人専用の無脳人体が備えられ、家庭内ではこの無脳人体を使用する。
- 出勤時には本人である脳が仕事場の適した無脳人体を指定する。
- 自宅にある本人用の無脳人体は待機モードのロボットとなる。
- 脳から瞬時通信により指定した無脳人体に、顔データと声データが瞬時送信され、その人の顔と声を備えた無脳人体が作られ、その無脳人体と脳とが瞬時通信により接続される。
- 職場から家に帰る場合も、家にある自分の無脳人体を指定し接続し、職場の無脳人体から顔や声が初期化され、ロボットになり待機する。
- 直接家に帰らず寄り道する場合は、寄り道先の無脳人体を指定し借りる。
- 旅行に行く場合は旅行先の無脳人体を借りる。旅行先の無脳人体はその旅先にふさわしい服装をしているが、気に入らなければ他の服装にかえる。旅先で借りた無脳人体を傷つけたり壊してしまった場合は、その費用をレンタル会社に支払う。
- どんなに無脳人体を傷つけても死ぬ事はないが痛みの記憶は残る。
上田政権はこの無脳人体構想を承認し、住民投票で大多数の賛同の下、実行に移す事になった。