この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
国際プレート技術検討プロジェクトの発足
8千万人もの命を救ったスキャナー・プレート技術は、当然世界中の注目を浴びた。これを受けて、〔国際プレート技術検討プロジェクト〕が発足した。
この技術を応用すれば、「輸送手段を使わないで海外旅行ができ、大きな省エネ効果が期待できる」という次のようなアイデアベースの提案、議論もまき起こった。
3D分子スキャナーと、有機物断面変換プレートを組み込んだ3D分子プリンターを備えた瞬間移動サービスセンターを各地に設ける。たとえば東京からニューヨークに出張する場合、東京のサービスセンターで、3D分子スキャナーにより分子レベルでデータ化し、そのデータをインターネットでニューヨークのサービスセンターに送信し、そこの3D分子プリンターで出張者を製造すれば、飛行機を使用する事なく、瞬時にニューヨークに転送できる。
以上のような方式である。「テレポーテーションがついに実現!?」といったような、センセーショナルな見出しでのメディア報道も続き、人々の期待感は高まっていった。
ただ、ここにも大きな問題が残っていた。東京のサービスセンターには出張前の当人が、ニューヨークのサービスセンターにはニューヨークでの仕事を終えた当人が残っている。人でなく書類などだったら、不要なら破り捨ててしまえばいいのだが、残るのが人間だから始末に悪い。
このシステムを用いた出張方法について、プレート技術検討プロジェクトのメンバー内でも白熱した議論が展開された。
そのメンバーの中の創造力豊かな1人が帰宅後、次のような思考実験を行った。
その思考実験をメモ中に次々とアイデアが沸き、一晩で書き上げた『30歳の双生児』というSF風の思考実験レポートを作成した。
そのレポートには、この技術を使った結果起こるだろう予測が記されていたが、結果としてそこから生じるだろう問題を示唆したものでもあった。
30歳双生児レポート
一卵性双生児は、1つの受精卵が2つに分裂し2つの命が誕生するので、受精したときの1つの命が分裂により2つの命になる、という見方ができる。ゲノムが全く同じで、身体的特徴や知的能力もほとんど同じだが、当然ながら全く別の人間である。
では、分子レベルで正確に3次元コピー可能なコピー機が出来たとして、30歳双生児が誕生した場合、その後どうなっていくかシミュレートしてみるとどうなるだろうか考えてみたい。
以下、主人公の山田氏は30歳。物事を合理的に考えられる知性の持ち主で、好奇心豊かな探検家だとする。3次元コピー機が出来たという事を知り、自ら人体実験に応募した。
コピー中に体が動いてしまうと正確なコピーができないので、完全凍結麻酔をかけられコピー機に入れられた。コピーは成功し、この瞬間に4つの生命が新たに誕生する。
分子レベルのコピーのため、新たに誕生した4人にも麻酔が効いている。コピー終了後、山田氏を含めた5人は、研究所員により5つのベッドのある一室に運ばれ、更に別の研究所員により5つのベッドに寝かされた(このような処置をとることで、当人も研究所員も5人のうち誰がコピー元なのかはわからなくなる)。
同時に麻酔から目覚めた5人は、最初5人全員が、「自分がコピー元」だと思うだろう。やがて5人はほぼ同時にベッドから起き上がり、自分と同じ顔をした4人が、自分と同じように不思議そうな顔でほかの4人を見回しているのに気がつくことになる。
もともと合理的な知性を持つ5人は「はたして自分がコピー元なのか、否か」、そんな疑念にとらわれることになるだろう。
さて、ここからは5人の行動には少しずつ差異が生じることになる。5人のうち真ん中にいる人は、ほかの4人を見るために必然的に右を見たり左を見たり顔を動かすことになるからだ。一方で、両端にいる2人は、あまり顔を動かさずに他の4人を見ることになるだろう。この時点で、すでにその行動に大きな違いが生じている。
やがて5人はベッドから起き上がり、会議室に集まり、話し合いを始めることになるだろう。最初に行なうべき事はそれぞれを区別するために名前をつける事である。もともとの彼らの名前は山田なので、便宜上ベッドに寝かされていた順番に山田1号、山田2号、山田3号、山田4号、山田5号と名づける事にした。
もともと合理的な知性を持つ5人は皆すぐに、コピー元が誰かを知る事は不可能であり、分かったところで意味がない事に気が付いた(もし山田氏がナルシシストで自己中心的で凶暴な性格なら、みな自分がコピー元であると主張し、殺し合いが始まるかもしれない)。
彼らはもともと探検家なので、彼らが探検したいと思っていた所5ヶ所を選び、10年後に再会する事を約束し、それぞれの行き先をくじで決め、別れた。
山田5号は探検中に事故で亡くなり、山田1号と山田2号は結婚し、山田3号は冬山での凍傷により指先を失い、山田4号は探検中に山から転落して顔に傷を負い、基本的にはそっくりでも外見的にも差異を生じているだろう。
10年後に約束どおり再会した4人は、この10年間の話や家族の事や、さらに共通の30年間の思い出話などを話しあうはずだ。
ただし30年間共通の1人の人間であったにもかかわらず、必ずしも共通時代の30年間の記憶は同じではなく、その後の10年間別々の人生を歩むうちに、共通していたはずの30年間の記憶にも少しずつ差異を生じている事だろう。