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取り留めのない思考が人を育む

 私は、地球温暖化という大きな問題を解決するための構想、思考実験を通して、最終的に小さな『空調服』という発明と、その事業化につなげました。地球温暖化問題を解決するという大きな目的を果たすために考えた結果、導き出されたのが空調服という解決手段だったというわけです。
思考というのは、目的のための解決手段を導くために必要不可欠なものだと私は考えていますが、人の目的はいつも高尚なものではありません。たとえば、「あと5分長く眠っていられるためにはどうすればいいか」を考えたりもしますし、「気になる誰かとさりげなくおしゃべりするにはどうすればいいか」といった些細なこと、くだらないことをよく考えるものだと思います。
 私に限らず人間というものは、そもそも考えるのが大好きな動物で、人類は自分の欲望や好奇心に導かれるままに色々なことを考えてきました。もちろん人間以外の他の動物にも欲望や好奇心はありますし、おそらくその欲望や好奇心に導かれてその種の脳が許す限り、考えているのではないかと思います。ただ、ご存知のように人間の脳は他の動物よりも発達しています。また有益とされる知識を共有できるコミュニケーション能力を備えています。
だからというわけかはわかりませんが、思考するのは必ずしも有益なことばかりではありません。人間は余計なことや無駄なことなど沢山のことを考えます。効率化や生産性向上などが求められる昨今の風潮からすると、これを「妄想がなんの役に立つのだ」とか、「馬鹿なことだ」と感じる方もいるかもしれませんが、こういった余計なことや無駄なことを考えるのが私は大好きです。それは人間という動物にだけ許された、人間ならではのある種の特権というか贅沢なことにも思えるからでもあります。
 子供の頃に私が暮らしていた家は、国道に面していて二階建てで一階の小さな店では商売をしており、そこでは駄菓子も売っていました。幼い私をかまう余裕のない忙しい母は、ときどき店の駄菓子をくれました。そのためひどい虫歯になりましたが、他愛もないことを一人ぼおっと考える時間が長い幼少期でした。三つ子の魂百までではないですが、この頃の経験が今の私を形作ったともいえるかもしれません。
母の機嫌がよいときは、駄菓子の代わりにキャラメルを与えられました。当時キャラメルは高級品で、小さな箱に紙で包装されたキャラメルが10粒ほど入っていました。そして私はそのキャラメルを一つずつ惜しみ食べながら、上機嫌で乾電池でモーターを回して遊んでいました。キャラメルの入った箱は、ひとつずつ食べるにつれ軽くなり、軽くなると少し悲しい気持ちになるのですが、小遣いのほとんどない私にとっては乾電池が消耗してモーターの回転が遅くなっていく方が、キャラメルの箱が軽くなるよりももっと悲しいことでした。そして、そんなときキャラメルの箱はキャラメルが少なくなれば軽くなるのに、乾電池は電池が少なくなっても軽くならないことに違和感を覚えていました。
 このとき芽生えた違和感は、高校の物理の時間に解消されることになりました。物理の教科書に相対性理論や原子力についてわずかな記述があったのです。小学生時代のキャラメルと乾電池の疑問を思い出しました。
 そこには質量とエネルギーが等価だという事が書かれていました。そしてそのとき、ふと考えてみました。もし、その記述が間違っておりエネルギーと質量との関係が比例以外の関係にあるならばどうなるのかと。
 たとえばリンゴを半分に切ったとき、もしエネルギーと質量との関係が比例以外の関係だったならば、そこでは大爆発が起こるかエネルギーの大吸収が起こってしまうことになります。そう考えてみると、あの有名な質量とエネルギーとの関連を表すシンプルな式(E=MC²)は十分に納得ができました。

 そして、使用前の電池と使用後の電池の質量の変化は、現在の測定技術でも測定不可能であるようですが、理論上はわずかだが質量が減っていることもわかりました。つまり、キャラメルも乾電池も使えば減るのは同じだったのです。あのとき覚えた違和感がようやく解消されることになりました。
 このような幼少期の取り留めのない疑問や思考を端にして、私はまだ見ぬ未知の可能性に触れることになりました。そしてこれは私個人に限らず、このような思考から人間は新たな手段を手に入れ、未知なる可能性を自分たちのものにしてきたのだと思います。だからこそ他の動物とは違った形で、人間はこんなにも発展することができたのではないでしょうか。

『空調服™を生み出した市ヶ谷弘司の思考実験』より

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